最近、“瞳をとじて”しまうと、どこか焦燥に駆られる。
地学の課題を終わらせなければいけないことと、
あの人の告白の返事と、
あの人と日曜にどう誘うかということと、
君と今日の部活で何を話そうかということと、
彼と朝、偶然のように鉢合わせる最適解な時間のことと
私には悩まなければいけないことが次から次と出てくる
何より悩んでいるのは、告白の返事
答えは決まっているけれど、それまでの伝え方や接し方、というか全てがわからなくてそわそわしてしまう。
あの人はまだ、私のこと好きでいてくれているのだろうか?そしてあの人は、私に告白する時、今の私のようにそわそわしてしまっていたのだろうか?
あの人が、私に想い悩み、焦燥に駆られ、どこか不安な気持ちになる時間があるとしたら、私はその時間がひどく恋しいと思ってしまう。
彼が“瞳をとじて”想う相手が、私なのであれば、それは私にとってすごく嬉しいけれども、完璧な私でいなければいけないという、また別の焦燥に駆られる。
“あなたへの贈り物”
過去の恋人への贈り物は、食べ物などの消えて無くなるものにしたけれど、最近本当に好きな人に出会って気付いたことがある。
思いやりとして消えるものを渡すよりも、この膨大な愛情として形に残るものを渡し、彼の部屋のどこかに私がいて欲しいと思ってしまう。
私に関連したものを見た彼には、はたまた私を思い出してほしい。いつであっても、私のことを、私のことだけを頭のどこかで考えていて欲しいと思うこの欲望を、どう“あなたへの贈り物”に化かせようか。
“羅針盤”
私は最初からあの人のことが好きで好きで、仕方がなかったはずなのに、向こうに好きと言われた途端安心してしまって、己の好きという気持ちを見失っていた。
数分前、あの人の動画や写真を見返して、どう思ってるのかもう一度考えて、あの人の仕草やぎこちない食べ方を思い出して思った。私は全部、あの人の全部が好きだ
仕草も食べ方のぎこちないところも、嫌だと思ってしまっていた。だが、今ではどうだろう?全部が可愛らしく、それでいて愛おしく思える。私はずっと、あの人が私を知る前からずっと好きだったのに。もう2度と、こんなあやふやな感情であの人を不安にさせないよう、“羅針盤”にでも思いを込めておこう。どれだけ2人が、目指す道は違ったとしても、同じ“羅針盤”を見つめて、共に彷徨い、共に照らせるような気持ちでいられるように。
“手のひらの宇宙”
それはキラキラしてて、いつもそばにあって、
君もいて、彼もいて、大好きな家族もいて、
いつも私を何かが手招いていて、
充実して、それはもう手放せなくって、
やめられないほど中毒になるスマホだね。
寝てる時に“そっと”布団をかけられたい
これこそが膨大な愛だと思う
ふとしたときに、髪が伸びたねと言われたい
これこそ、髪切ったね、よりも遥かに大きな愛だと思う