“涙の理由”はそんなんじゃないんだよ
ただの嫉妬じゃないんだよ
君のその笑顔も指先も、私にだけ向けるものだと思っていたんだよ、この1年間、ずっと。わたしが君の一挙手一投足を気にして、愛して、可愛がっていたことも、君からしたら私はただの友人だもんね、わからないよね。
なんだか、私の知らないところでどんどん私しか知らない君が、他の誰かのものになってしまっていて、こんな関係はもう耐えられなくて、今にでもこの世から逃げてしまおうかと考えている。そんな私の“涙の理由”はそんな小さな出来事じゃないんだよ。
“ココロオドル”ってラッパーの歌ですよねすみません違ったら。この際違っても良いです私はラッパーが好きなので今日はそれについて少し語らせて頂きます
皆様は、ヒップホップとラップの違いをご存知でしょうか?ラップはあくまでも「リズミカル」が特徴ですが、ヒップホップは「音楽以外のダンス、ファッションなどの芸術」を含む概念なのです。ヒップホップの方が幅広くて面白いじゃん!と思われがちですが、わたしはいつでも元気にしてくれるラップの方が好みです。
皆様がもし、元気がなくて、落ち込んでしまった時は是非わたしのだいすきな「呂布カルマ」さんのラップバトルを聞いてみてください。顔も言葉も容姿も全て、かっこいいが詰まったような存在ですから
”束の間の休息”
雨の音が好き、ぽたぽたいうのも、ざーざーも、
水の音はさまざまで、たくさんあるものね
そしてその中の、
それだけに限らないという概念が、だいすき
しかもそれは自然界のもので、人類が生まれるよりももっと前からそれらが肯定されているようで、すき
太陽からしたら、この世界をいつも晴れにして頑張っているのだから、雨は“束の間の休息”でもあるのかもしれない。いや、逆に晴れの方が休息なのだろうか…、?わたしたちにいつだって可能性と選択肢を与えてくれるのは自然だ。こんなにのんびりと、太陽や世界、大好きな雨について語れるこの時間もまた、“束の間の休息”であるのかもしれない。
“力を込めて”いた物事ほど評価されなかったりする。
例えば、大好きな先生の授業で“力を込めて”書いたあの作文。何のコメントもなくただAだった。最高評価なので嬉しいは嬉しいなのだけれど、もっと何かが欲しかった。先生からのご褒美が、欲しかった。
それとはまた逆に、提出期限ギリギリで“力なんて込めずに”急いでグラフとデータと文章を作成したあの統計グラフコンクール。どうしてか校内選考に選ばれ、今全国に上り査定されているようだ。
しかし、なんとも嬉しいことがあった。文化祭で浴衣を着、部活に“力を込めて”活動していたある時、大好きなあの先生に、あの彼に、なんと「浴衣、似合ってますね」と言われたのだ。あのわたしの、だいすきな大好きな彼に。
ここで私が伝えたいのは、全ては評価されなくとも、いつか俯瞰して人生を捉えた時、なんだか認められてると、なんだかちゃんと評価されていたのだなと感心するような日が、いつか皆さんに訪れるということだ。
“過ぎた日を思う”
私の投稿は全て、過ぎた日を思うばかりだ。新しい物語を一から造ったことなど、ひとつたりとも無い。
君と出会った記憶も、彼と出会った運命も、それを辿る道筋も全ては想い出に過ぎない。ただ、その単純な思い出が私にとっては、ひどく美しい。稀に苦しめられるが、それすらも幸せだと思う。
今日はそれらについて、どう思い悩もうか。毎日午後19時が待ち遠しくてしょうがない。勢いで書き綴った夜の仮作を、通学電車に乗りながら直す毎日、これらだって愛おしい日々だ。みなさんはこのアプリとどう毎日を綴っているだろうか、みなさんの言葉たちを眺めるのもまた、至福の時である。