となり

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2/9/2025, 10:45:57 AM

 クジラすらも歌うシャンパンの海で踊ろう
 おろしたてのグラスから覗く黄金の向こう
 百万ドルの夜景より煌めく笑顔を見つけた
 拙い夕食もふたりならスペシャルディナー
 その後はベッドの上で最高のサプライズを
 誰にも負けないいちばん特別な愛を贈ろう
 ナイトライトの明かりが幸せを照らしたら
 橙色に染まる瞳の奥に零れた愛を拭わせて

2/6/2025, 11:16:18 AM

『タルトタタンの鎮魂歌』

「この前。足音みたいな名前のタルトを初めて食べたけど、あれがかつての失敗から生まれたなんて、信じられない美味しさだったよ。お行儀良く乗った林檎が仲良しの姉妹みたいでさ。ひとつひとつフォークを刺すことすら勿体なかった」
 まるで謳うように足音を立てながら、あいつは館の階段を降りてきた。焦げた紅色のフォークを弄び、笑う仕草は悪魔みたいだ。視線が合うと、俺の顔から僅か数センチ横を飛んできたフォークが壁に刺さった。
「帰るぞ」
 一言だけ伝え、返事も聞かないうちに踵を返す。
「はーい」
 間延びした応答と共に、任務を終えてご機嫌の相方はゆるい足取りで後ろをついてくる。今宵の標的は姉妹だった。はじめに片割れを射抜いたのは俺だが、部屋の奥に逃げ込んだ妹の方はこいつに頼んだ。やけに静かだったが、表情を見るに上手くやったのだろう。外に出て、夜の静寂に紛れて紫煙を燻らせる。
「あ。禁煙期間もう終わったんだ」
「バカ言え、任務後は別だ」
「見苦しいオッサンの言い訳〜」
 鬱陶しい野次は右から左へ。先についた火の灯りと、揺れる白が空へと浮かぶ、この光景と最初の一口が至福でなかなかやめられない。
「仕事より煙草に殺されそうだね」
 うるさい笑顔を手刀で叩くと間抜けな声が挙がった。
「それで。その美味いタルトの店ってどこだよ」
「聞いてたんだ! 駅前の……」
 少し赤くなった額の痛みも一瞬で忘れたんじゃないかってくらい目を輝かせ、聞いて聞いてと尻尾を振る彼は、フォークを持って笑っていた彼とは別人のようだった。甘党同士のスイーツトーク(主に喋っているのはこいつ)は、苦い任務後の帰り道、既にひそかな娯楽となっていて。こちらも暫くはやめられそうにない。

2/5/2025, 4:58:10 PM

『愛の無い心』

 欠落したものはなんですか。取りこぼしたものは大事なものでしたか。いつも苦い顔で笑って頷くハカセ。過去に起こした間違いを忘れないため、毎日問いかけるようプログラムされたワタシ。肝心の答えは聞けないまま、ハカセは昨日から動かなくなった。いつもどおりから、変わってしまった明日へ問いかける。ワタシは、ハカセの大事、なもの、に、……自動停止作業に移ります。この機械は初期化されました。おつかれさまでした。

2/3/2025, 1:48:23 PM

 息をしている。息をしている。あてのない広野に向かい、根強く地に足をつけて、私はいつも息をしているのだ。毎日、心臓が全身に血を送る作業をくだらないと嘲笑うことなどないように。只只、呼吸を繰り返す。
 たまに、心臓の代わりにでもなった気でいる他人は、生きているだけだと他人を嘲笑う。生きているだけ、のなんと惨たらしい言いよう。しかし私は敢えて選んでいるのだ。息をすること、生きること、その意味を模索すること、意味なんて無くてよかったこと、全ては自分が決めていいこと。
 嘲笑っていた者は、気づいたら遠くの後ろで、息をするのをやめていた。彼の選択に正誤はない。当たり前のむつかしさにぶつかって倒れたんだ。あれはいつかの私のすがた。ありえたかもしれない未来。息をしている。息をしている。私は今日も息をしていく。

2/2/2025, 9:47:25 PM

『空はくを埋めるように』

「最近よく食べてるね、おでん」
「ほーお?」

 応えながら頬張る君はいま、自分の猫舌と格闘している。木でできたマイ箸を持ち上げ、コンビニで買ってきたばかりのおでんを公園なんかで食べている。僕はといえば、日課のジョギング中、ぐうぜん出会った君に『なに持ってるの』とビニール袋をゆび差したら『食べる?』と誘われたから、こうしてベンチにふたり、並んでる。いたずらに空へ投げた息はしろくて、本当になんでこんな寒い中食べてるんだろうと思った。

「好物だけ残しといたよ」
「えっ、割り箸とかないの」
「持ってたし、貰わなかった」

 ん、と言って木箸と一緒に差し出されるカップのお椀。残ってたのは、

「もち巾着だ」
「あなた、好きじゃなかったっけ。食べてると思い出す」
「よく覚えてたね」
「冬になるとよく食べてたじゃんか、それこそ私よりも」
「そうだったっけ」
「そうだよ」

 だからおでん好きになったんだもん。
 そう言って、夜を見上げた彼女の吐く息は、僕の吐いたそれよりしろく。おでんを溶かす湯気にも似ていた。

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