なぜもっと素直になれないのか。
格好つけた文章で誤魔化して。
いまだに。
この時間になると、あなたを思い出してしまう。
この先一生、二度と会うことは無いと分かっていても。
思い出の人になった今も。
わたしは、あなたが愛しい。
毎日、さよならをする。
題:後悔
妹は膠芽腫グレード4変異型。
浸潤性の脳腫瘍で、変異型は純粋な膠芽腫に比べると予後は良い(長い)とされている。
執刀医の先生から「再燃(再発)まで4年半持ちこたえられるよう出来る限り切除した」と言ってもえらて、もうすぐ8月で丸4年。
沢山の人から「先のことは分からないからずっと元気に生きるかもしれないよ」等と言葉をもらう。
ありがたいけど、可能性は低い。
学術的に世界のケースを入れて、5年生存率は8%。
10年生存率は0%。※変異型
職業柄多くの死に携り、がんの末期患者の最期も見てきたから、再燃(再発)した後の予後も想像出来てしまう。
診断があった日から、ずっと覚悟をしている。
だから、私と妹はいつも笑っている。
今を生きるようにしている。
とても前向きな話。
題:風に身をまかせ
僕はもともと、とても走るのが好きで、小学一年の頃から陸上クラブに入るほどだった。
9歳になったばかりの時から急に、歩けないほどの激痛を足の付け根に感じ始めた。
母が近くの整形外科に連れてってくれたが、受診してすぐに隣の県の大きな大学病院に行くよう勧められた。
ペルテス病、小児の特発性大腿骨頭壊死症と診断された。当時、僕はよく分かっていなかったが、母の動揺する姿を見て大変な病気になってしまったのだと感じた。
僕はそこから、友達にも挨拶出来ないまま、一年病院で寝たきりの生活を送ることとなった。
病室の窓から、同じ歳の頃の声が聞こえるとつい見てしまい、羨ましく思った。正直に、なぜ僕だけがこんな病気にならないといけないのか、母が帰ってしまった夜は寂しくて、何度も声を殺して泣いた。
2週間に一度は、妹や兄も父と一緒にお見舞いに来てくれていた。手術も無事終わり、少しずつリハビリも開始されて半年が経った頃、ふと、妹の頭にハゲがあることに気がついた。
それ…と指で指した瞬間、妹は手で隠した。
そうだった。母は週の半分は僕に付き添い、病院に寝泊まりしていたのだ。
夜、泣いていたのは、僕だけでは無かった。
兄も、強がってはいるが辛い時もあっただろう。
僕は、早く病気を治して退院しないと。そう誓った。
題:失われた時間
立派な職業で、それなりの地位、収入を手に入れているあなたは、私の胸の中で眠ることが好きだった。
私も、あなたの髪を撫でながら眠ることが好きだった。
外の顔と私の前での顔が、全く違っていて。
時折おかしくて、そっと微笑んでいた。
大人とは?chatgptに聞いてみた。
「大人とは、一般的には成熟し責任を持つことができる人のことを指します。それは年齢だけでなく、行動や考え方、社会的な責任感なども含まれます」
年齢は関係無さそう。
今はもう、あなたは別の大切な人を見つけたみたいだけど。
やっぱり私は、あなたみたいに、私にだけ見せる顔がある人を探してしまう。
題:子供のままで
「俺が10歳の時さ…」
「なに?」
「あにき…」
「うん」
「勝手に俺のプリン食べただろ」
「…忘れろよ」
題:忘れられない、いつまでも