-ゆずぽんず-

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5/20/2023, 10:27:38 AM

思い描く自分の姿を叶える為に努力を惜しんではならない、そう心して様々なことに挑戦し続けている。少しでも数字に強くなりたい、数字を言語ではなくイメージとして捉えることができるようにと珠算検定を視野に算盤(そろばん)を始めたのは一年と半年ほど前のことだ。実家に、姉が小学生の頃に使っていた算盤があった為、アプリと併用して勉強をするようになった。当初は、珠の動かし方や繰り上がりや繰り下がりが理解出来ず悩んでいた。これは子供のうちの柔らかい頭でしか理解できないのかと半ば諦めていたが、2ヶ月ほど経つと身体が覚えてきたのか理解が追いついてきた。


執筆中
「お気に入り」に入れていただいております皆様、
転職を機に多忙になってしまい、なかなか投稿が出来ておりませんでした。しかし、G7サミットに伴い、お休みが頂けましたので久しぶりに投稿を続けております。長らく投稿をお休みしておりましたこと、深くお詫び申し上げますと共に、あたたかく見守ってくださいましたこと、こころより御礼申し上げます。
また、私の稚拙な超駄文に目を通してくださり、誠に恐縮でございます。私の投稿はフィクションではなく、実体験などから学び得たことや感じたこと、またその中で培ってきた経験であったり、身についてきた考え方に基づいて執筆して御座います。
読み難い点など、多々あるかと存じますが、どうぞ引き続き応援下さいますと幸いです。

最後に、沢山のユーザーの皆様の投稿もまた、私の貴重な財産です。これからも勉強させていただきたく思いますので、どうぞ宜しく御願い申し上げます。

お風呂入ってきます!

5/20/2023, 3:23:54 AM

旧友と飲み交わした金曜日の夜、他愛のないことに笑顔を輝かせだらしなく頬を緩めて笑う姿も肴になる。翌日が休みであることが、こと更に酒を美味くする。終始笑顔ではしゃぐ姿が眩しい。
仕事場で知り合い、意気投合した職人と毎朝のように出勤前にカフェを楽しむ。私よりも一回り以上も年上の彼とは、先月まで応援で入っていた現場で知り合った。現場に入ってすぐの頃は挨拶をする程度だったが、思い切って話しかけてみて世間話をしたのが仲良くなるきっかけだった。GW明けに異動になり、現在の現場を担当することになった。私は人に情が湧きやすいため、彼以外にも多くの職人と親しくなっていたことから寂しさを感じずにはいられなかった。しかし、彼とだけは連絡先を交換していたことが縁を繋いだのだろう。
私は毎朝四時に起床する。身支度を済ませて六時前には片道三十分の事務所へ向かう。途中、事務所近くの駐車場で車を乗換える。事務所に到着すると、朝の準備を済ませてのんびりするのだが、そんな時に彼から電話が鳴った。「おはよう。今どこ?コーヒーする?」とカフェのお誘いだった。事務所近くのコンビニは彼の通勤経路の途中にあり、そこが私たちのモーニングカフェの決まり場所となった。以来、毎日のようにそのコンビニで彼と落ち合って三十分ほど会話を楽しんでいる。ときに、相談をしてアドバイスを頂いたりしている。
工区では二十歳の職員と二人で現場を見ているが、その職員は六月に異動が決まっている。私は彼の業務を引き継いで、今後はひとりで管理していくようになる。若い彼にはまだまだ常識的なことや社会通念上のことなどが足りていないように思うが、素直で真面目だ。そして、私に適度に気を使いつつ心を開いてくれ、何でも話をしてくれる。また、私も分からないことは彼に確認を取るが、嫌な顔をせず丁寧に教えてくれる。さらに、元請け職員のなかにも若い方がいる。二十五歳の元請け職員の彼は、院卒ということもありしっかりしている。今まで学んできたことは現場では通用しない、みぎもひだりも分からないと不安になっていたが、職人さんと仲良くなること、分からないことは上司に聞く前に自分で調べてみて、分からなければ職人に聞くのが一番早い。その上で気になることを簡潔にまとめて上司や先輩に確認をとるようにすれば、吸収速度は何倍にもなるのだと、アドバイスをすると笑顔で返事を返してくれた。その後、それを実践している姿を見ると本当にいい子なんだと感心する。そして、尊敬する。
きっと、様々な考えや目標があってこの仕事を選んで専攻してきたのだろう。期待や不安に胸をふくらませて入社したのだろう。楽しみやドキドキに踵を弾ませて現場に配属されてきたのだろう。しかし、彼の周囲には優しい上司が揃っている。三年後には立派な現場監督になっているだろう。驕らず、恥じず、悖らず、努力を惜しまず探求し続ける姿勢さえあればどんな姿にもなることが出来る。決して自惚れず、どんなにゆっくりでも真っ直ぐに歩んでいってくれることを願っている。

さて、なぜこのようなことを語ったのかと言えば、人というものは、生き物というものはいつこの命に終わりを迎えるか分からない為である。一度きりの人生を無駄にすることなく、少しでも有意義に過ごすためには怠惰であってはならない。子供の頃に人生の長さを考えたことがある人は少なくは無いだろうが、人生の折り返しは実を言えば体感的には18歳頃になる。これは研究結果も出ている。高校を卒業する頃、または中卒で働き始めればひとつの区切りである歳でしかないが、この頃になると人はあらゆることの経験を積んできている。人生の様々なアトラクションの大部分を体験していることになることから、新鮮味を感じる機会や時間が極端に減る。人の体感時間は、如何に新しい環境や新鮮な環境に身を置くかで変わることが分かっている。つまるところ、余程の新鮮な体験を自ら得ていかない限りは人生の体感速度は歳を追うごとに、益々加速していく。これは本人が無自覚無意識であればあるほどに如実に現れる結果となるため、今を生きることがどれだけ尊いことであるのか分かる。
私が親しくなった人達との別れを惜しみ、若い職員の将来を楽しみにしてアドバイスを与える背景にはこのような考えがあるからだ。1度きりしかなく、しかもその人生は歳を追うごとに速度を増していくのだから貪欲でなければ、ただただ無駄にしてしまうのだ。言わば時間をドブに捨てているも同然であると言える。時間は、財産そのものだ。そのドブに捨てた時間で、金を得られたやも知れないし、リスキリングに注力して自身の付加価値を高めたかもしれない。全てが等しく与えられた財産であるにもかかわらず、むざむざと無駄に生きて咲くはずの花を種のまま腐らしてしまい兼ねない。故に、願わずにはいられない。人との別れを惜しむことも同じことだ。良い知己は財産である。


私がここまで熱弁してきたことの根底にある考えは、生き物である以上は様々な要因や因果があって突然に命を終えることがある。昨日笑顔で会話を交わした人が、翌日の朝に息を引き取ったことがある。急性心不全だったそうだ。病気もなく、趣味が運動などで適度に楽しみながら生きていた人がなんの前触れもなく急逝したのだ。突然の別れというのは誰にでも、訪れるものだ。だからこそ、人の背景に目を向けてしまうだ。そして情が湧いてしまうのだ。


私もまた、明日、今日、もしかすればこの後に命尽きるかもしれないのだ。

5/18/2023, 8:05:24 AM

同僚や上司とルームシェアをして、共同生活をしていた私には自分のために使える自由で制約のない時間などありはしなかった。


毎朝、4時に起床して朝食を用意するところから始まる一日は私にとって何よりも不条理なものだ。ただ作ればいいのではなく、上司からのリクエストにも応えなければならない。あれが食べたい、これが食べたい、食事は何品用意して欲しいという子供のような要望を全て実現させなければ仕事中に苦しめられることになる。従って、甘めのものと甘さ控えめのものや出汁を入れたものなどバリエーションに富んだ卵焼きを作った。鮭は粕漬けしたものや、味噌漬けしたもの、塩焼きしたもの。ソーセージ
は「赤ウインナー」や「アルトバイエルン」を好みに合わせて調理する。汁物はお味噌汁や中華スープなど最低でも二種類を作る必要がある。
朝食の用意が済めば、前日におかずを詰めておいたお弁当箱にタイマーで4時に炊き上がった炊きたてのご飯を装う。そして作業着や、水筒やドリンクの用意を済ませる。全てを終えて、全員を起こしてみんなで食事をする。そのあとは車に乗り合わせて現場仕事へ。これが毎朝のルーティン。昼休憩にはお弁当の感想と希望を聞き、今後の参考のためにメモをとる。ここまでするのは、純粋に期限を損ねられても面倒だからだ。子供地味た大人に対して、同じ土俵で物事を考えていたらより面倒になる。不満はあるが割り切って、私が大人になるしかない。
仕事を終えて家に帰れば、全員分の洗濯物を処理する。洗濯機が騒いでいる間に朝食時の食器を洗い、タオルで水気をふき取って傍らのテーブルに置いておく。冷蔵庫や冷凍庫の中から、考え無しに大量買いされてきた食材を選別して取り出す。食材を見て何を作るか何時な作るか瞬時に決めれば調理開始だ。同時進行で、1時間半の間に7品と酒のツマミを3品作ってテーブルに並べる。私を除く全員が食事をしている時、私は洗濯物や使用した調理道具の対応に追われるが頭が子供な上司らは「一緒に食べよう。後でやればいいよ」という。実に浅はかで、他人任せな思考回路だ。今やらねば、間に合わぬというのに。それに、私は料理を作ると食欲が失せるのだ。だから私はこの時に食事をすることを拒んで、片付けやその他の家事を行うようにしていた。

全ての仕事を終えて開放されるのは、22時を回った頃。私は恋人と電話をするため外へ出かける。徒歩3分のコンビニへ行き、おにぎりをひとつと酒を買って近くの植え込みに座り込む。恋人へ電話をかけて食事と晩酌をしながら話に花を咲かせる。とはいえ、話す内容なんて他愛の無いものでだ。それが私にとって一日で唯一の癒しなのだ。星空を見上げ、離れたところに住む恋人を想い酒を飲む。偶に交番から防犯巡回出ているパトカーが角を曲がり、通りをゆっくり走っているのを見かける。私の目の前を通れるやパトカーは停車し、警察官が降りてくる。そりゃあそうか、植え込みに座り込んで酒を飲みタバコを吸いながら電話をしていれば声をかけたくもなるだろう。聞けば私が未成年者に見え、遅い時間に酒を飲み、タバコを吸っていたので声をかけたのだという。職務質問を終えて世間話を少々して、愚痴を聞いてもらい励ましの声を貰う。その後も恋人との会話を日が変わるまで楽しんだ。


人も虫も街も寝静まった静かな時間に、たった一人真冬の星空の下で愛する恋人の声に、その優しさに、温もりに酒の酔いと共に酔いしれて今日という日を終える。明日の激動に備えて、リセットすることが私の生きる力そのものだった。だから、乗り越えられた。そして、その経験が今の私を輝かせている。

5/1/2023, 10:11:47 AM

息が上がり、汗が首筋を伝う。額から流れ顎へと溜まった雫は重力に従って床へ落ち、足を滑らせる。ベンチに敷いたタオルはすでに多量の汗を含んで重く濡れ、来ている服もグローブもまた水気を帯びている。履いているシューズの中では、靴下もインソールも溢れ出て、伝い降りてきた汗を吸い混み続けている。

分割法を用いるようになって、早6年を迎えただろうか。時に多忙が故に追い込むことはおろかこの重みを感じることも出来なかった時間がある。しかし三分割や四分割でのメニューを立ててからは、一回あたりの向き合う時間、追い込む時間がより濃密になったように感じる。全集中で追い込まれパンプしてくる筋肉もまた、その事実をダイレクトに伝えてくれる。
ワークアウト1時間前にプロテインを飲み、気持ちを高めるために動画投稿サイトにてこの日行う部位のトレ動画を漁る。視聴するチャンネルは、登録しているものから選ぶ。その日その時の気分次第で決まるが、どのような追い込み方をするのか、どのように終えるのかをイメージする。そのイメージに沿って視聴チャンネルを決める。つまり、クリエイターにはそれぞれの個性やトレーニング方法がある。考え方も違えばセットの組み方も違う。自分の行いたいものにマッチする動画を見ることで、アドレナリンを放出させるのだ。ある程度気分が高まってくれば、作っておいたワークアウトドリンクを少量ずつ摂取しながら、しっかりと動的ストレッチを行う。筋肉の繊維と会話をするようにストレッチをすることで、更なる意識向上を図る。

ストレッチを終えれば、メニューの作成だ。レイズ系やプレス系など同じ部位でも様々な種目が存在する。私はフリーウェイトでは、全部位では概ね五十程の種目から都度メニューを決めている。さて、今日は胸と背中、肩と腹の日だ。胸はBP、DIP、DDP、DF、PO を各6セット。背中はDL、HDL、SLDL、DDL、BOL(H/L)、SS を各6セット。肩については本日はレイズ系種目メインの為、FR、SR、RRの他にプル系種目としてFPを加えて、各6セット。腹はLR、MC、クランチ、プランク、SB を各6セット行う。ワークアウトの予定時間としては、2時間が目安だろうか。ワークアウトドリンクはリッターシェイカー2本を用意してある。

滾る気持ちも、疲労が溜まっていくにつれて挫けそうになってくる。脚トレに比べればこんなものまるで気にしない程度のものでしかないが、辛いものは辛い。血管運動性鼻炎の私にとって、ワークアウトの時間が長ければ長いほど、運動量が多ければ多いほど鼻をかむ回数も増える。否応なしに鼻水がとめどなく溢れてくるからだ。何度かんでも鼻がつまり息が苦しくなる。そのストレスで集中力も傾き始めるのだが、これも私にとっては毎度の試練である。多いときで一度のワークアウトで五十回ほど鼻をかむのだが、時に血が滲む。摂取するドリンクが鼻水で放出されているのではないかとさえ思えてくる。しかし、気持ちが折れた瞬間に集中力はどこかへ飛び去っていってしまう。必死に自分を鼓舞して、今という時間、この苦痛という喜びにしがみつくのだ。この厳しく苦しい時間を乗り越えた先に、自己満足というゴールデンタイムが待っているのだから。
私はワークアウトの前後で、摂取するプロテインのメーカーやフレーバーを変えている。ワークアウト前はなるべくあっさりしたフレーバーで溶けやすいものを選び、ワークアウト後は溶けずらいものでもなるべく甘く美味しく満たされるものを選んでいる。理由は簡単だ、ブレンダーに水を注ぎプロテインやバナナ、ブルーベリーや卵、サプリメントを投入しスイッチを押すからだ。どんなに溶けずらいプロテインでもドロドロのシェイクになってくれる。このシェイクは容量としては最終的に700ml程になる。これを一気に飲み干すのだ。この時が生きていて一番の満足感を得られる。苦しくとも、どんなに辛くとも鞭打って頑張って頑張って耐え忍んだ後に、最高の褒美が待っている。それが、私にとってこれほどに素晴らしい幸福感をもたらしてくれるのだ。アイスやスイーツスラも敵わぬ至極で至高の瞬間だ、この瞬間なくしては生きていくことは出来ないだろう。

さて、ここまでワークアウトやその後のプロテインという褒美の話をしたが、実はもうひとつ褒美があるのだ。それは、「筋肉痛」という普通であれば苦痛や不快と感じるものだ。私にとっては何よりもの褒美でしかない、それは追い込んだ証だからだ。ただ追い込んだからという訳では無い。普段から追い込んでいるにもかかわらず、更にしさ新たな刺激を与えられたのだという結果を知ることができる方法だからだ。だからこそ、褒美と言える。鼻水にストレスを覚え、疲弊しながら耐えた先に甘い褒美がある。そして、ワークアウトが無駄ではなかったのだという事実を痛みを伴って認識できる。もちろん、酷い筋肉痛になってしまった時は褒美でもなんでもない。なぜならワークアウトが出来なくなってしまうからだ。しかし、基本的にはワークアウトを朝行えば、昼過ぎから夕方には筋肉痛がやってくる。それも、一日二日で去っていくのだから素晴らしいものだ。


一般的に、トレーニーはドMと言われる。これは適当であるとも、間違いであるとも言える。なぜなら、自分自身で嫌という程追い込むという鬼畜の所業を強行する頭のおかしい気概。そして、苦しみを気持ちいいとさえ感じる精神。これはトレーニーやアスリートなど当事者にしか分からない部分かもしれないが、つまり言い得て妙といえる表現はずばり「変態」だろう。これこそ、最高の褒め言葉であり自身を誇り自信をつける究極のワードだ。


簡潔に言おう。ワークアウトとはトレーニーにとって至福の時間であり、そのフィールドはまさに地獄と天国の両極端にある場所だ。そして、感じる苦痛も痛みも全てが幸せになるためのエッセンスであり、スパイスである。つまるところ、楽園のようなものだ。

4/27/2023, 11:30:27 AM

「生きる意味」

これも、お休みの日に執筆致します。

本業と、前にお世話になった会社の応援でなかなかお休みが取れませぬ!

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