旧友と飲み交わした金曜日の夜、他愛のないことに笑顔を輝かせだらしなく頬を緩めて笑う姿も肴になる。翌日が休みであることが、こと更に酒を美味くする。終始笑顔ではしゃぐ姿が眩しい。
仕事場で知り合い、意気投合した職人と毎朝のように出勤前にカフェを楽しむ。私よりも一回り以上も年上の彼とは、先月まで応援で入っていた現場で知り合った。現場に入ってすぐの頃は挨拶をする程度だったが、思い切って話しかけてみて世間話をしたのが仲良くなるきっかけだった。GW明けに異動になり、現在の現場を担当することになった。私は人に情が湧きやすいため、彼以外にも多くの職人と親しくなっていたことから寂しさを感じずにはいられなかった。しかし、彼とだけは連絡先を交換していたことが縁を繋いだのだろう。
私は毎朝四時に起床する。身支度を済ませて六時前には片道三十分の事務所へ向かう。途中、事務所近くの駐車場で車を乗換える。事務所に到着すると、朝の準備を済ませてのんびりするのだが、そんな時に彼から電話が鳴った。「おはよう。今どこ?コーヒーする?」とカフェのお誘いだった。事務所近くのコンビニは彼の通勤経路の途中にあり、そこが私たちのモーニングカフェの決まり場所となった。以来、毎日のようにそのコンビニで彼と落ち合って三十分ほど会話を楽しんでいる。ときに、相談をしてアドバイスを頂いたりしている。
工区では二十歳の職員と二人で現場を見ているが、その職員は六月に異動が決まっている。私は彼の業務を引き継いで、今後はひとりで管理していくようになる。若い彼にはまだまだ常識的なことや社会通念上のことなどが足りていないように思うが、素直で真面目だ。そして、私に適度に気を使いつつ心を開いてくれ、何でも話をしてくれる。また、私も分からないことは彼に確認を取るが、嫌な顔をせず丁寧に教えてくれる。さらに、元請け職員のなかにも若い方がいる。二十五歳の元請け職員の彼は、院卒ということもありしっかりしている。今まで学んできたことは現場では通用しない、みぎもひだりも分からないと不安になっていたが、職人さんと仲良くなること、分からないことは上司に聞く前に自分で調べてみて、分からなければ職人に聞くのが一番早い。その上で気になることを簡潔にまとめて上司や先輩に確認をとるようにすれば、吸収速度は何倍にもなるのだと、アドバイスをすると笑顔で返事を返してくれた。その後、それを実践している姿を見ると本当にいい子なんだと感心する。そして、尊敬する。
きっと、様々な考えや目標があってこの仕事を選んで専攻してきたのだろう。期待や不安に胸をふくらませて入社したのだろう。楽しみやドキドキに踵を弾ませて現場に配属されてきたのだろう。しかし、彼の周囲には優しい上司が揃っている。三年後には立派な現場監督になっているだろう。驕らず、恥じず、悖らず、努力を惜しまず探求し続ける姿勢さえあればどんな姿にもなることが出来る。決して自惚れず、どんなにゆっくりでも真っ直ぐに歩んでいってくれることを願っている。
さて、なぜこのようなことを語ったのかと言えば、人というものは、生き物というものはいつこの命に終わりを迎えるか分からない為である。一度きりの人生を無駄にすることなく、少しでも有意義に過ごすためには怠惰であってはならない。子供の頃に人生の長さを考えたことがある人は少なくは無いだろうが、人生の折り返しは実を言えば体感的には18歳頃になる。これは研究結果も出ている。高校を卒業する頃、または中卒で働き始めればひとつの区切りである歳でしかないが、この頃になると人はあらゆることの経験を積んできている。人生の様々なアトラクションの大部分を体験していることになることから、新鮮味を感じる機会や時間が極端に減る。人の体感時間は、如何に新しい環境や新鮮な環境に身を置くかで変わることが分かっている。つまるところ、余程の新鮮な体験を自ら得ていかない限りは人生の体感速度は歳を追うごとに、益々加速していく。これは本人が無自覚無意識であればあるほどに如実に現れる結果となるため、今を生きることがどれだけ尊いことであるのか分かる。
私が親しくなった人達との別れを惜しみ、若い職員の将来を楽しみにしてアドバイスを与える背景にはこのような考えがあるからだ。1度きりしかなく、しかもその人生は歳を追うごとに速度を増していくのだから貪欲でなければ、ただただ無駄にしてしまうのだ。言わば時間をドブに捨てているも同然であると言える。時間は、財産そのものだ。そのドブに捨てた時間で、金を得られたやも知れないし、リスキリングに注力して自身の付加価値を高めたかもしれない。全てが等しく与えられた財産であるにもかかわらず、むざむざと無駄に生きて咲くはずの花を種のまま腐らしてしまい兼ねない。故に、願わずにはいられない。人との別れを惜しむことも同じことだ。良い知己は財産である。
私がここまで熱弁してきたことの根底にある考えは、生き物である以上は様々な要因や因果があって突然に命を終えることがある。昨日笑顔で会話を交わした人が、翌日の朝に息を引き取ったことがある。急性心不全だったそうだ。病気もなく、趣味が運動などで適度に楽しみながら生きていた人がなんの前触れもなく急逝したのだ。突然の別れというのは誰にでも、訪れるものだ。だからこそ、人の背景に目を向けてしまうだ。そして情が湧いてしまうのだ。
私もまた、明日、今日、もしかすればこの後に命尽きるかもしれないのだ。
5/20/2023, 3:23:54 AM