心に「雫」が落ちたような感覚になる時がある。
ノスタルジーというものに近いのかもしれない。何かしらをきっかけに胸の奥底が掴まれる感じ。それは少し苦しくて、寂しくて…幸せな気持ちになる。
落ちた「雫」は波紋を広げて、気づけば私の心の隅々にまでその雫が届く。きっと、その雫によって私の器から水が零れた時、私は涙を流すんだろう。泣き虫は私は、きっと他の人より雫を受け止める器が浅くて、落ちてくる雫の一滴が人より大きい。
零れ落ちた雫はどこに行くんだろう?涙となって器から零れたとしても、その雫が私のもとに落ちてきたという過去は変わらない。その雫が涙となって私から落ちていったことも変わらない。
じゃあきっと、器から零れた雫に込められていた想いは零れた先で収納されて、思いがからっぽになった雫だけが涙として私から零れてくるんだろう。棚に収納された思いは、きっともう取り出されることはないけれど、確かに私の中にある。
人間って、多分そういう生き物だ。いろんなことを知っては忘れていくけれど、その色んなことが自分の中にあったという事実は残って、思いはいつまでも自分の中にある。君たちが忘れてしまったと思っていることも、実は雫が涙として流れて言ってしまっただけで、その中身は棚の奥底にでもあるかもしれない。
「もしも未来を見れるなら」…って、思ったことある?
もし未来視が出来たなら、恋を叶えて、テストなんて満点を取っちゃって、幸せな人生を送れるんだろうなって、君たちはそう思うでしょ?
でもね、そんなに良いもんじゃないよ、「未来を見れる能力」って。
例えば友達と話してる時。何気ない雑談をしている自分の中に、常に「何を言ったら友達が喜ぶか」を視ている自分がいる。「コイツはこの話をしたら喜ぶ」「それは地雷だから言わない方がいいよ」って、私の中にうるさいほど囁いてくる。
そのうち、分からなくなったんだ。「友達」って、相手にとって耳障りの良い言葉を交わし合う関係だったっけって。
例えば勉強をしている時。私は問題を解いて答えを見つけ出したいだけなのに、私の中の私が「答えは〇〇だよ。未来の事実だから間違いない」って声高らかに叫んでくる。その通りに答えを書いたら合ってるんだからより嫌なもんだ。
だから、勉強する楽しみなんてありゃしない。自分の声に従って答えを書いてるだけのお絵描きゲームを何年も何年も繰り返してるだけ。
ね?「未来を見れる能力」って、当事者からしたら迷惑極まりない余計なお世話なんだ。私は人生を楽しみたい。どうなるか分からない未来に賭けて一喜一憂してみたい。
私の幸せってこうだったっけ?なんで自分の力で未来を変えるんじゃなくて、未来の通りにするために自分を変えなきゃいけないんだろう?
未来が見えない君たちだから叶えられる夢がある。歩める道がある。だから…「もしも未来を見れるなら」なんて、そんな悲しいこと言わないでほしいな。
それが「未来を見れる私」からの、ちょっとしたお節介で、お願い。
私にとってこの世は、無色の世界だった。別に、本当に色が無かったわけじゃない。
朝起きて、ご飯を食べて、学校に行って、帰って来る。そしてまたご飯を食べて寝る。そんな、変わり映えのない生活。色を感じたところで面白くもない世界。
それが変わったのは、彼女との出会いだった。
小説なんかでよくあるような、破天荒な人柄ではない。むしろ逆で。慎重で几帳面で、人をこう言うのはアレだが生きるのが下手な人間。でも私には、そんな彼女が誰よりも輝いて映った。
勉強が出来ないなら死に物狂いで勉強して学年トップの成績を掻っ攫ってきて、運動が出来ないなら毎日早朝ランニングなんて始めて、可愛くない自分が嫌いだとメイクを極めて自分のモノにした。
誰よりも自分を嫌っていて、誰よりも自分が大好きな人間。それが彼女だった。
それを高校時代3年間隣で見てきた私は、社会人になった今…また山も谷も無い道を歩くことに甘んじようとしている。
…そんなこと、耐えられるわけが無い。再び無色の世界に戻るなんて真っ平御免だ。
それに、彼女にまた負けてしまうのは、彼女と出会ったせいでプライド高くなってしまった自分が許さない。
負けず嫌いの彼女は、よく私と勝負をしたがった。最初は何もかも私の圧勝、もはや何故負け試合を挑んできたのだろうとさえ思ったこともあったが…驚くべきことに、彼女はもう一度同じ勝負を挑むと、次は私に完勝してきたのだ。
そうして私たちは勝負し続けてきた。そして高校を卒業する時、最後の勝負を始めたのだ。
「どちらがより幸せになれるか」
負けられない。最後くらい、彼女に勝ったまま逃げ切ってしまいたい。
さあ、何を始めようか。勉強をして資格でも取ろうか?ジムにでも行って新たな自分になろうか?それとも人脈を広げてみようか?
もはや無色の世界などではないこの視界は、眩く輝く明日を映している。彼女も、きっと同じような景色を見ているのだろう。
さあ、共に行こう。隣には居なくとも、同じ方向を向いて歩いて行けるのなら、いつかはその道が交わることをあるだろう。その日を待って、また出会った時には「どちらがより幸せになれたか」で勝負をしよう。
これは、彼女と出会って、別れて、また出会うための私の世界の物語なのだから。