大切なもの
嬉しかったはずなのに
幸せだったはずなのに
淋しさが腹の奥から
じわじわと浸透してくるのはどうしてなのだろう
頑張ったはずなのに
上手くやれたはずなのに
どこかでまだ自分を
許せずにいるのはなぜなのだろう
大切なものを守ろうとして
盾を持ち剣を構えるのが正しいことと
そう信じてきた
守るために攻撃するのだ
そうでなければ命を失うのだ
いつしかそれは己を囲む城壁となり
研ぎ澄まされた刃は鞘に収まることを知らぬまま
誰彼構わず傷付けた
私の中の大切を守れば守るほど
壊されていくのはなぜなのだろう
血だらけの大切など
抱いていても苦しいだけだ
それならば私は一体
いったい何を大切にしていたのだろう
たとえ形を変え姿を変え
色を変え匂いさえ変わったとしても
大切なものを大切にしたいのだ
間違いも偏りも
傷も流した血もすべて
淋しさや葛藤と共に
私の内に在る
むかし抱いた大切も
今抱きつつある大切も
すべて私のものだということ
それが生きていくということ
何をもってしてハッピーエンドとするのか、それはきっと人によってそれぞれ違うのだろうと思う。
または、起き得る全ての出来事一つ一つによって。
さらにその答えは一つ限りではない。
私にとってあの出来事は、今思えばハッピーエンドだったのだと思う。互いにとってそうであったのなら、とは、ただ願うばかりであるけれど。
もちろん当時の私にとってはバッドエンドである。
時が経ち、渦中から一歩二歩離れることができたなら、外から見たその渦の景色はいくらか違うものに見えるのである。
それは己の未熟さであったり、物事には然るべき時があるのだということであったり、何よりも、そこには確かな幸せが存在していたということが。
それはそうと、側から見るとバッドエンドでも、当事者にとってはハッピーエンドであるような物語には、メリーバッドエンドという名が付くと言う。
当の本人が幸せならばハッピーエンドと呼んだら良いじゃないかとも思うのだけれども、まあそんな単純なものではないらしい。
さて。
では私の物語にはなんと名前を付けようか。
今の心境からすれば明らかにバッドエンドではない。
メリーバッドエンドと呼ぶほどのものでもない。
ではやはり。
私の中だけでそっと、ハッピーエンドの物語として語り継いでいくとしよう。
ずっと隣で
そう願う心と
それを戒める心の
狭間で私は揺れている