何もいらない
手にしたものは、さらさらと崩れてこぼれ落ちていった。
大切だと抱きしめたものは、幻覚のように薄れて消えた。
──失うくらいなら、もしかして
もう何も持たない方がいいのかもしれない。
1つだけ
不確定ばかりの世界で、ひとつだけ確実なものがある。
──僕の今までは、正答じゃない。
エイプリルフール
「好きだよ」
──今年もちゃんと、嘘を吐いた。
「なに、急に」
「うーん、なんとなく?好きだなーって思ったから」
からかわないでよと笑う君はいつだって可愛らしい。突拍子もない僕からの「好き」にからからと笑うものだから、もう少し意地悪をしてみたくなった。
「本当に好き。世界で1番かも」
「まだ言う?」
「可愛くて愛おしくて世界が全部敵になっても味方でいて守り抜きたいくらいに好き」
本当にどうしちゃったの、褒めても口説いても何も出ないよと可笑しそうに言う君の声は、ありきたりな表現をすれば本当に鈴の音みたいだった。大仰な告白はかなり面白かったのだろう、君はちょっと心配になるくらい長く笑っている。
「ねぇそんなに笑わないでよ! 」
「んふふふ、だって、急に変なこと言い出すんだもの」
細くなった目。口元を抑える指先。ひとつひとつの動作を目で追いかけて、胸に走った痛みには気付かないふりをした。
「4月1日。エイプリルフールだよ」
耐えきれなくなって少しだけ早いネタばらし。さすがに正午までは引っ張れない。
「なーんだ!まったくもう! 」
なんだよぉと脱力した君はやっぱり可愛くて、出来ることならその身を預けている机になりたいくらいだ。
「騙された?」
「ほんっと!たちが悪い! 」
びっくりしたなぁとまた君が笑う。私たちはそんなんじゃないもんねぇと肩を震わせながら。呼吸を整えるように息を吐いた君は、ふわりと笑って口を開く。
「ね。私も好きだよ」
「……え?」
ぐるり、と心臓が裏返った。
「……なーんてね! 午前中はまだ終わってないよ! 」
びっくりした。冗談でも君はそんなことを言わないと思っていたから。そうして一瞬だけ──本当に少しだけだ──真実だったらいいなと思った。
「ねぇ、ところでなんの話ししてたっけ? 」
「えっと……忘れた! 」
他愛の無い話として、言葉が通り過ぎていく。
──エイプリルフールに吐いた嘘は叶わない。
好きだとか世界で1番だとか可愛いだとか、そんな言葉で君を縛らないように、僕は今年も君に卑怯な魔法をかけている。
ないものねだり
どうしよう!
わたしやっぱり
月がほしい!
特別な存在
『だれかのいちばんになりたいです』
幼い頃に書いた何かの感想文だ。王子様がお姫様を選ぶように、ヒーローがヒロインを選ぶように、バディが相方を大事にするように、物語の中で唯一無二になる2人に憧れていた。
学校のお友達は2人組になる時自分を選んでくれると思っていたし、親友だよって笑った子はクラスが離れても遊んでくれると思っていた。期待してるよと言ってくれた先生は結果を見て褒めてくれると疑わなかった。
──随分と長いこと、そう信じていた。
言葉はどこまでも軽くてその場しのぎでどうとでもなること。期待と無茶振りは使い勝手がいいだけだってこと。唯一無二の相方なんて創作の中だけだということ。そうしてそれを知っていて尚、それに憧れてしまうこと。諦めるには少し名残惜しくて、だけど捨てるしかなかったもの。
いつしか他人を見ようともしなくなって、己の特別はいつの間にか無機物に埋め尽くされていた。言葉を持たないぬいぐるみ。物言わぬ一眼。世界に溢れかえる音楽。1冊の本。波打ち際に打ち上がったガラクタのように部屋に散らばる「特別」は、今日も微動だにせず傍に転がっている。