言った方がいいのか言わない方がいいのか、それが問題だ。
私は、実は、頭にきやすい。
すぐに、怒る。
でも、心の中でだ。
大抵は表に現さない。
だから、誰も私が怒っていることに気づかない。
大人げないことをしたくないから、現さないのだ。
ただ、その代償として、世の中に対する慢性的な怒りと諦めが私の心を蝕んでゆく。
言ったところで、私が怒っていることがわかるだけで、彼らは自らの仕打ちを反省することはないだろう。
最近も同じような怒りを感じてしまった。
つまり、同僚なら皆当然知っているはずの必要情報を知らされていないことにより、不利益を被ってしまったのだ。
この怒りは、私の存在を無視されたときの怒りだ。
わざとでないとしても、悲しすぎるではないか。
でも、これは私にはよくあることである。
その度に、ある種の運命性を感じてしまうのだ。
私は、人から忘れられやすい運命なのだと。
しかし、私も、梨という果物が存在することをつい忘れていた。
お互い存在感がないのだろう。
最近は、人との距離感をうまく保っている。
というよりは、むやみに近づかなくなったと言えよう。
要は傷つけられたくないのだ。
今まで、人に近づきすぎて残念な結果になったことが多いという印象が強い。
友達になりたいと思っても相手はそう思っていなかったり、思っていたより信頼関係が構築されていなかったり、逆に誤解されて嫌われてしまったりなど。
期待するだけ自分のメンタルがやられてしまうことになる。
そして、よくあるのは都合よく利用される関係だ。
特に、愚痴の聞き役になることが多かった。
今はそんな一方的な関係を続けている暇はない。
利用されていると感じたら、即、la la la good byeである。
長くてもあと30年ぐらいで死ぬことになる。
そして健康的な生活ができるのは、そのうち何年か。
そう考えると、お金を稼ぐことにこだわっている時間はない。
自分の思うままに、後悔しない時間の過ごし方を。
楽しいと思えることに時間を使いたい。
最近ダイエットをしているので、かなり糖質を摂っていない。
昔は、気分の赴くまま、おいしいものを食べていた。
そのおかげか、あの頃は今のように精神的に追い込まれてはいなかった。
今は、自分で自分を苦しめている。
お金が足りないと思うからから、仕事詰めだし、太るのが嫌だから、食べたいものも食べていない。
それが、何年も続き、当たり前のようになっている。
幸福感は感じない。いつもダメな自分を責めている。
でも本当はそんなことをしている時間はないはずだ。
いつまでこんな生活に耐えているのだ。
もっと本能に忠実になってはどうですか?
あとで後悔しないためにも。
秋の恋はロマンチックでしょうね。
最後に恋に落ちたのはいつ頃だろうか。
なぜ、恋に落ちたのか。
それは、あまりにも美しかったから。
いや、美しく見えたから。
申し訳ないのだが、女性の外面に恋をしたのだ。
なかなか、内面に恋をすることはない。
いや、むしろ内面は見ないほうがいい。
男という生き物は、喜んで女性に騙されなければ恋愛はできない。
女性も男性の上っ面に騙されたからこそ、恋愛したはずなのだ。彼の本性を知ったら冷めるはずだ。
そう、恋愛は幻想そのもの。
ああ、それでも、この穏やかな秋色の街中で、やっぱり大人の恋がしてみたい。
たとえ幻想とわかっていても。
簡単には、愛しているとは言えない。
そもそも愛とは何か分からないかだ。
ある心理学者は、男女の愛とは、性欲であるか、もしくは、長いつき合いからの情であるかのどちらかであると言っていた。
ということは、前者に関して言えば、つき合いの短い関係では、相手に対して性欲があることを、翻訳して、愛しているということになる。
それで納得がいった。確かにそうだ。
愛とは何かに悩むことはなくなった。
やはり、感覚として感じていたように、愛=性欲だったのだ。
後者に関しては、残念ながら長いつき合いをしたことがないので、私にはわからない。
だから、これからは性欲があることを愛と呼ぼう。
そうすれば相手は喜ぶはずだ。