パラレルワールドは実在するのか?
答えは?である。
子供の頃は、よく妄想した。
たとえば、鏡の中には別の世界があり、今いる世界が実は鏡の中の世界であり、現実は向こう側にあるとか。
しかし、大人になると妄想する時間がなくなり、「もし〜なら」といった問い自体がくだらなく思えてしまう。
しかし、目に見えるものだけが私たちの世界ではない。
電気も、電波も、磁場も、目に見えない光も、確かに存在しているのだ。
となると、幽霊の存在も否定し難くなる。
死後の世界を見た人はいない。
一方で、幽霊を見たという人はいる。
死神を見たという人もいる。
それなら、霊界は存在するかもしれない。
私は、幽霊を見たことはないが、UFOを見たことはある。
だから、霊界の存在を否定はしない。
いつの日か、科学的に解明されるのか?
その分野が、もっとビジネスとして成り立てば、単なるオカルトではなく学問として確立するかもしれない。
大学で自然科学の学部一つとして幽霊学部たるものができる日が来れば、霊界の存在が科学的に立証される日も来るであろう。
現時点で、人の脳のことすら未解明なので、先は長いとは思うが。
時間というものほど不思議なものはない。
時間が地球の自転や公転と関係があるなんて信じられない。
だって、いくら地球を早く回っても未来には行けないからだ。
さらに時間感覚というものも興味深い。
子供の頃は一日の時間が長く感じ、年を取れば取るほど短く感じる。
どうやら人間の代謝が関係しているそうだが、まだよくわからない。
唐突だか、過去に私は、時間を止めたことが何度かある。
ジョジョの奇妙な冒険で時間を止められるスタンドがあったが、あながち嘘でもなさそうだ。
アスリートで言う、いわゆるゾーンに入ったときだ。
サッカーの試合で、難しいシュートを決めたときは、ボールもまわりの人間も全てがスローモーションで、私の思考だけが高速に回っていた。
だから、自分の思い通りに、全くミスなく、冷静にシュートできたのだと思う。
そういう時は大体ゾーンに入っていた。
今では、時間は、自分の想定よりも、とても早く過ぎてゆく。朝起きたらあっという間に夜になってしまう。
何かに集中すると時間感覚がなくなるらしい。
残りの人生もあっという間に過ぎてしまうだろう。
その間に、時計の針が重なるように、誰かとの大切な出会いがいくつあるのだろうか。
残された時間はあまり長くはないが。
もう、誰かと一緒には生活できない。
パートナーに限ったことではない。
親兄弟とも一緒に暮らせない。
人がいると、とても気になるからだ。
気が散るのである。
集中できないのである。
仕事も本も映画も集中できなくなる。
人の声がうるさくて嫌でもある。
子供の頃も小学校の教室内で耳を塞いでいたこともある。
子供の声がうるさいから。
今も、インターホンがいきなり鳴ったり、電話がいきなり鳴ったりするのが嫌で嫌でたまらない。
誰かが家に来るとわかると何かに集中できなくなる。
だから、本当は宅配便をあまり利用したくないのだが、今の時代にそれは無理だろう。
子供の頃、友達の家に遊びに招待されたが、一緒に何かをするでもなく、各々で漫画を読むことになったので、我慢できずに帰ってしまった。
漫画に集中できないし、そもそも漫画を読むのなら自分の家で読みたいので、わざわざ人の家まで来る必要がないだろと思ったからだ。
また、会社員のときも、日本の会社によくあるように、デスクが同僚とひとブロックになっているのが嫌でした。
近くに誰かがいると仕事に集中できなかったし、自分の能力が半減してしまい、結局、辞めざるを得なくなりました。
たから、会社はともかく、同棲も結婚も無理だと思う。
お互い別々に住みましょうと言って果たして納得されるのか。
だから、やはり、ひとりが落ち着くということになる。
結婚には向かない人なのだ。
最近は、人生ダークモードである。
過剰なストイック生活というか、言わば修行僧のような生活をしている。
平日は仕事で自分を追い込んでいる。なかなか成果が出ないが今は仕方がないと思っている。
起業して間もないので収入もないし、ダイエットもしているので、食生活は超質素である。
玄米、納豆、卵、サバ缶、イワシ缶、シーチキン塩分無添加、豆腐、トマトジュース、キャベツの千切り、ワカメとこんにゃくの味噌汁、ヨーグルト、バナナ、これらの食材を朝飯、昼飯、夕飯で、分散させて食べる。
だから、いつも同じメニューである。
手間を掛けずに、必要な栄養素をとれれば良いのという考えなので、この食生活が5年近く続いている。
当然、味など関係ないし、美味いとも思わない。
普通の人間には耐えられないかもしれないが、私には食に関しての欲がないというか、そもそも物欲があまりない。
修行僧とは矛盾しているようだが、休日だけは遊びにも行かないで、二日酔いで、結局ゴロゴロして動画を見ている。平日の反動であり、ここでリセットされる。
ただ、やはり今の生活はつまらないので、精神的に限界は来ている。あと1年ももたないだろう。
仕事が波に乗って、もっと稼げるようになって初めてお金を使う資格があると考えているので、来年中には何とかなっていたいものだ。
もうそろそろ、目の前の世界が晴れると信じてはいるが。
最近は、毎年のように飼い猫があの世に逝く。
たくさん飼っていたのだし、年齢も15歳前後になってきた子については仕方がないが、若くして事故や病気のせいで逝った子たちについては胸が張り裂ける思いだ。
いずれにせよ、あの子たちを看取るたびに私の命が削られてゆくのは確かだ。
とうとう、涙さえ出なくなり、悲しみで寝込むこともなくなってきた。
死に慣れすぎてしまったのだ。
数年前は1週間は寝込んだのに。
猫が集まるのが私の特殊能力らしいが、それだけ悲しみも増えるし、普通の人間とは違う人生になってしまった。
虹の橋の向こうへ行ってしまったあの子たちは、どこか異次元の星で私を待っているような気がする。
それが妄想かどうかは、私が死んだらわかることだろう。