わたしが日記を書き始めたのは、「アンネの日記」の影響だ。空想の親友に宛てて綴る形式を踏襲した。小さい頃から人付き合い禁止で、わたしにはお友達を作ることが許されなかったからだ。
日記に何を書いて来たかはもう充分書いたと思う。日頃のDVや絶望を書き記していた、とだけ書いておく。
わたしの父と養母(伯母=父の姉)の教育方針だった、人付き合い禁止令は。禁止理由は「下品が移る」だと聞かされた覚えがある。お友達と放課後に約束をすると、断りの電話を入れさせられた。特に断る理由もないのに。
そのうち父は友人を連れてこいと言いだし、わたしの友人に親御さんの職業や年収を聞くという圧迫面接をやらかした。お陰でわたしには余計に友人が出来なくなった。
【閉ざされた日記】
昔は関東平野に住んでいたから、木枯らしが吹くと冬を感じた。木枯らしが吹いたとテレビで流れると、脳裏に「北風小僧の寒太郎」が流れた。「ヒュルルン」という歌の一節が、木枯らしが揺らす電線の音に重なって聞こえた。あの頃は電線が文字通り鳴っていた。
関東を離れて、山あいの盆地に暮らして早幾年。温暖化の影響もあって、木枯らしをあまり感じなくなった。それどころか、夏のような暑さがずっと続いたと思うと、数日後には冬に突入しているような感じまで覚えるようになった。
どうしちゃったの地球、と思わざるを得ない。
【木枯らし】
わたしは、美しいとは見た目ではなく、人間性だと養母から教わった。茶道の師範をしていた養母はわたしに、所作や言葉の美しさを重視する教育をした。わたしは中学にあがると、女子校だった為か作法の授業があったのだが、すぐに優等生となった。
一方で実家では罵詈雑言が日常的に飛んでいた。主に酔った父が一方的に発する言葉だ。お前はダメだ、死んでしまえ、どうして生まれてきた。ザクザクと心を抉られていたのは最初だけ、そのうちそういう環境にも慣れた。
なので、わたしは、意識すれば敬語を綺麗に使いこなし、お辞儀や座り方も美しくこなせる、反面、同時に無意識のうちに人に刺さる鋭い言葉のナイフをも、身につけてしまった。
わたしにとっての美しさとは、本質的ではなく、あくまで表面だけの薄っぺらいものだと自覚している。故にわたしは、醜い。
【美しい】
この世界は、ニセモノだ。小さい頃はそう思うことで自分を保っていた。空想の世界がホンモノだと思いたかった。ぬいぐるみが歩いて喋り、猫が人語を話して、みんなニコニコ、穏やかな風景。
養母の家から実家に帰ると、そんな世界は崩れ去る。
父の暴力、暴言。守ってくれない母。ただただ被害に遭う兄。父のストレスを一身に浴びせられ続ける兄。目の当たりに、DVを見せつけられるわたし。
うちは兄以外血液型が一緒で、兄だけOだった。余計に兄は疎外感を募らせたと思う。父の晩年に兄が昔使っていた机を掃除したら、とてもつらい詩を見つけてしまった。大丈夫だよ、今はわたしが父の捌け口だよ、と胸中でつぶやいて、そっと詩を片付けた。
【この世界は】
どうして、生きているんだろう。
知識がとにかくなくて、「扇風機の風に直に当たって寝たら死にますよ」という養母の言葉を鵜呑みにした。小学生のわたしは、わざと扇風機の風に当たって寝た。人生を終わりにしたかった。でも普通に目が覚めて、どうして、と思った。
ガス自殺も試みた。元栓が閉まっていることに気づかず、コンロのスイッチをひねった。当然ガスは出ず、わたしはまたもや、どうして? と首をひねりながら普通に目を覚ました。
今にして思えば笑い話だ。
こんなことで死ねると信じていたのだから。
【どうして】