小さい頃から幸せは自分で決めることだと思っていた。少女パレアナを読んだのはもっと後の話。
父は食事の席で酒をあおっては兄に暴言暴力を振るった。母は止めもせず見てみぬフリをしていた。暴言暴力は三時間に及ぶこともあった。父は自分の激昂に興奮してどんどんエスカレートした。殺されかねないと思うことも多かった。兄の次はわたしだ。実際に暴力を受けるより、目の前で見せつけられることが怖かった。
だから日記に毎日、「明日はもっと酷いから、今日はきっとまだ幸せ」と綴っていた。兄が殴られない日を記そうと思ったが、途切れることなく毎日続いた。
空が綺麗であれば、きっとわたしは幸せなのだ。
そう思い込もうと努力していた、小学生の思い出。
【幸せとは】
日の出前は寒い。夜の寒さが一段と増して、そして太陽が顔を出す。
神奈川県、某市某所は、満天の星が見られる隠れスポットだった。今は知らない。当時バイトしていた店の店長に連れて行かれて、空一面に広がる星空を見た。星が多すぎて星座が分からない上に天の川も見える。肉眼で、不自然に動いている人工衛星も見えた。
眺めているうちに星が徐々に薄くなっていって、空が白んできて、朝焼け色に染まっていって、寒さが急激に強まって、そして朝が、太陽がやって来る。
太陽が昇ると寒さは急にやわらいでゆく。
不思議だよね。
【日の出】
僕の抱負は、鳥になることだ。
いや、今でも既に鳥頭だけど。でも蛙よりはマシだと思う。蛙は飲み込んだ蜂に刺されて吐き出したあと、すぐにまた飲み込んで刺されるくらい記憶力がないんだって聞いた。
そうじゃない。僕は鳥のように自由になりたいんだ。
鳥からすればナワバリとか、全然自由じゃないかも知れないけど。人間よりは自由に見える。空をぐいぐい飛んでいる力強さとか、ああいうのに憧れる。
鳥には人間の決めたルールなんて通用しない。僕もまあ不道徳になる気はないけど、そこそこ自由にやっていきたいんだ。水の下で必死に水かきのついた足をバタつかせてスイスイ泳ぐ優雅な水鳥のようでもいい。力強く、自由で、優雅に見える、そんな僕になりたいんだ。努力は見せないのがかっこいい。
【今年の抱負】
昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
変わったのは年号と西暦、そして月がわりカレンダーだけ。
新しい年を迎えて変わったことは特にない。
お節もお雑煮もないし、お年玉もない。
ただの祝日でしかない。
そして僕には祝日ですらない。
四日は日曜だが予備校はある。模試も近いし、何なら本番の試験が目前である。
受験生って嫌だなあと思う。
学校では皆ピリピリしているし、親は親でイライラしている。まるで僕じゃなく親が受験生のようだ。
大学に入れなければ人間じゃない、くらいの扱いを受けている。それは視野が狭いと僕は思うんだけどね。
【新年】
転居後は年越しは神社に行くことが多かった。
歩ける範囲に大きな神社があったこともあり、よく二年参りをした。二年参りとは、寺社で年越しを迎えることである。
お賽銭と、ガラガラと鈴を鳴らすタイミングが良く分からず、二礼二拍一礼のどこでやればいいのかとオロオロしながら、取り敢えず前の人の真似をした。
お参りが終わると社務所のかたがお酒を枡でくださって、端に塩がのっていた。これで日本酒のつまみに塩が合うことを知ってしまった。以降このことで呑兵衛扱いを受けることが多くなる。
その神社には行けなくなってしまったが、皆さま良いお年をお迎えください。
【良いお年を】