今日、友人と思っていた人をブロ解した。
どうやら先方にはわたしは友人どころか相手を見下して扱う人だったようだ。尚、全くそのつもりは無い。
当人は双極性障害を患っていて、自殺率が高いことを知っていたわたしが、減薬がうまくいかないという発言に心配して、また先生とご相談だね、と返したのが、どうも見下し発言にあたるらしい。
人のとりようは様々で、誤解されてしまった以上何らかの責はわたしにもあるのだろうが、わたしは完全に拒絶されてしまっているため、事情も聞けないし弁解もできない。静かに関係を終わらせる、それが精一杯の誠意であると思った。
その人が今後幸せに生きられることを祈っている。
【静かな終わり】
今日のお題を見た瞬間、超時空世紀オーガスのオープニング曲、「漂流〜スカイハリケーン〜」が脳裏を流れたのは、わたしだけではないと信じたい。
見失った 精神(心と読む)の旅路
ここのフレーズである。
わたしは正直なところ、本当に自分の心のありかたを見失っている。一年半以上続けている神田橋処方が効いて、結構メンタル的には落ち着いているが、根深いものはやはり寛解まで時間がかかるらしい。
自分の心の置きどころを見失ったことが、正直痛い。
【心の旅路】
まだ十数年前、今よりずっと冬が寒かった頃。
今住んでいる土地はまだ雪国と言えて、粉雪が降っては積もって、日中融けて、そこに更に夜、粉雪が積もって、路面スケートリンクになった。
土地の人は小さい頃からその状況に慣れているので、防滑シューズなど無くても器用に転んだり滑ったりせずに歩いていた。
わたしは県外から転居したので、この路面一面に広がる凍てつく鏡の上をマトモに歩けなかった。
北海道で買った防滑シューズも役に立たない。
仕方なく登山用のアイゼンを使った。
温暖化で雪も余り積もらなくなった今では、思い出話。
【凍てつく鏡】
さっぽろ雪まつりを見にいった。
小樽で時期を同じくして氷のフェスがあると知り、そちらにも足をのばした。
初めてのアイスバー。カウンターだけでなく、壁、床、椅子まで氷である。当然寒すぎて座れない。ホットワインを頼むも、手の中でみるみる冷めていく。
通路にはキャンドルが灯されていて、光が雪に反射しとても幻想的で綺麗だった。
【雪明かりの夜】
わたしは結婚式をしていない。
見世物になるのも、余計な出費も嫌だったからだ。
でも配偶者の居住地へ行って、土地に拒まれていると感じたので、近場の由緒正しい神社で、結婚奉告祭をあげた。御神酒を捧げて、神官様に祝詞を読んでいただいた。太鼓は録音だった。だが儀式が終わると、ふっと体が軽くなって、土地神さまに受け入れていただけた気がした。
余談だがその七年後、まだ外見が若いうちに、写真を残しておこうと、改めて写真婚をした。こちらは出来れば写真ではなく、油彩の肖像画を誰かに頼みたかった。まあ画家さんの伝手も無かったので夢は夢で終わった。当時の写真データは、今でも大事にとってある。
【祈りを捧げて】