夜空の来ない夕暮れを見たことはおありだろうか。
わたしはある。飛行機で確かパリへ飛んだ時だ。わたしは当時中学一年生で、フランス語は五つくらいしか覚えていなかった。メルシィ、パードン、ボンジュール、ボンソワ、シルヴプレ。確かそれだけだ。あ、あとジュスィヤポネーズも覚えて行った気がする。
飛行機の窓の外は永遠に夕暮れだった。あれは往路か復路か。まだソ連だった国では窓を開けることを禁じられ、機内映画が流れていた。
永遠に続く夕暮れ、開けてはいけない窓、そして気づいたら空港は昼だった、ような気がする。どこかで一日分の夜を越えてしまったのだ。
ただ、海外には大学一年生の時にメキシコにも行っているので、その時の記憶だったかもしれない。飛行機での記憶はうろ覚えである。
【夜空を越えて】
親や保護者に限って言えば、わたしには抱っこなどの記憶はない。水に沈められた時に抱き上げられたようではあるが。
わたしのぬくもりの記憶、それは養母の家にわんさかといた猫たちである。犬は小屋に繋がれていて、力が強すぎて散歩になかなか連れて行けず、鎖を長くして走り回れるように工夫はしていた。
猫の中でもわたしに懐いてくれたのは少数。
でも寝転んで本を読んだりしているとのぼってきて、わたしの背中をベッドにしていた。
毛糸のマフラーを編んだ時は、毛糸玉にじゃれついて何度も毛糸を噛み切って、結果ヨダレべたべたのマフラーが出来上がった。
猫たちと一緒に丸まって日向ぼっこをした。ぬくもりの記憶といえば、そんなところだ。猫の寝言も何度も聞いた。もう一匹も生き残ってはいないが、わたしの心の中で生きている。
【ぬくもりの記憶】
わたしは小さい頃血行が悪かったのか、よく手や足に霜焼けを作っていた。
雪の日の小学校の雪遊びなどは寒さに震えて楽しめなかった思い出だ。
手が凍えて、カサカサになって、グーを握るとびしびしっと直線状にヒビが入って、出血した。
父はお湯に手を漬けさせて、おそらくわたしの冷え切った手を温めようとさせたのだろうが、それは必要な油分を奪って、余計に切れやすくなるだけだった。
冷たい、冷たい、わたしの手を見て父は言った。
「心が冷たいせいだ」
【凍える指先】
さっぽろ雪まつりに何度か行った。その度に道民の友人数名と会って一緒に見て回ったり、色々観光したりした。でも道民は総じて寒さに弱かった。
少し見たところで雪原の寒さに耐えかね、お店に避難したがった。わたしはもう少し見たかったが、一緒に店に入りジンギスカンを頂いた。しめにうどんを入れても美味しいよと友人から聞いて、へえと思った。
あとは小樽の氷祭りにも行った。アイスバーでホットワインを頂いた。ワインはすぐに冷めた。
回らない寿司屋で食事したのもその時だったろうか。
道民が寒さに弱い訳が、別の友人宅に宿泊して分かった。ガンガンストーブを焚いて、部屋では薄着で過ごしていた。重ね着を繰り返して武装したわたしとは、冬の過ごし方から違っていたのだ。
【雪原の先へ】
わたしはとある事情で長屋に住んでいたことがある。
住んでいたというか、滞納金のカタに住まわされていたと言うべきか。
だから通常の二倍の家賃を払わされていた。それでも二万ちょいだったけれど。水道代なし、和式トイレ・風呂・洗濯機共同で。
壁はベニヤ板一枚。隙間から隣が見える。台風の時は室内干しの洗濯ものが揺れる。当然冬は息が白かった。室内でコートを着て、手袋をはめて、コタツにもぐって、しのいでいた。
その頃から多少寒くても着込んで耐えるクセがついていたのではないかと思う。
今でも室内で息が白いことはよくある。ストーブをつければ良いのだけれど、着込んでしのごうとしてしまう。尚、コタツは処分されてしまったので、ない。
【白い吐息】