ジョバンニは午後の静けさの中、親友グーフォの恋人と向き合っていた。
彼女はどこか遠くを見つめグーフォの幻を追う。
「グーフォは、何年も私の中で生き続けているの」
と彼女は呟いた。
彼女のスマートフォンには彼の写真やメッセージが並んでいる。
それらを眺めれば彼と過ごした日々の一つ一つが鮮やかに蘇る。
しかしそれは彼を偲ぶ一つの手段ではあるが、無機質な数字やデータに代わってしまうことはできなかった。
彼女の胸の奥には、心に刻まれたグーフォとの思い出が、何よりも強く保存されている。
今日もまた彼を想い、水晶の涙が彼のためにポロポロと零れ落ちていく。
それは、愛する人を失った大切な記憶が永遠に彼女の心の中で生き続ける証なのだ。
「いつまでも捨てられないもの」
勾配8パーセントの登り坂を自転車でひと漕ぎひと漕ぎ進んでいく。
登るにつれ、足も心臓も重たくなる。
息が切れて、身体から肺や骨、筋肉が重力に押し出され風にさらわれていくかのように感じる。
「大人になるとは思っていなかった」
そんな思いが渦巻く。
思い描いていた未来は、彼方にある幻影のようだ。
誰もがいつの間にか大人へと変わっていく。
ましてやいつか老人になって必ず死に行く運命だなんて考えたこともなかった。
「大切な何かは忘れ去られ、すでに失ってしまったかもしれない」
しかし坂を上りきった先に緩やかな下り坂を迎えると、
生まれ変わったかのような爽快感が駆け抜ける。
風が頬を撫で、自由を感じながら進む。
「僕はまだ若い」
18歳の若者として再び生き返る。
いつまでも、いつまでも、この空の下を駆け続ける。
「自転車に乗って」
イケメン猫の僕が暮らす街は、美しい海岸でサーフィンやお散歩を楽しむ人たちでにぎやかなんだ。
時々涼しい風が吹いてきて、僕は日傘をさして波の音を聴きながら、ちょっとだけ太陽とお友達になるんだよ。
周りには豊かな緑が広がっていて清々しい景色を眺めながらお散歩できるのが嬉しい。
そして、歴史ある有名なお寺が点在してるから日陰もたくさんあって、まるで安らぎのオアシスみたいなのさ。
お散歩に疲れたら僕は「お日さまカフェ」っていう、落ち着いた雰囲気のお店で、こだわりの自家製シロップを使ったかき氷を楽しむんだ。
太陽愛のマンゴーともちもちの白玉がたっぷりのっててほんとに美味しいんだ。
「太陽」
ジョバンニはストレーザの街を歩いていた。
するとどこか遠くからやわらかく心地よい響きが耳に届く。
まるで夢の中で聞こえてくるような幻想的な響きだ。
それは、太陽の鐘楼の鐘の音だった。
新しさと懐かしさが入り混じる不思議な音。
時には艶やかな幸せの福音として明るく響き渡り、
時には深い心に寄り添う慰めの声として柔らかに包み込む。
そしてまた、勇気を与える力強い応援としても聞こえてくる。
その音色は、どんな人々にとっても意味あるものであり、想いを寄せた者たちの心をつなぐ大切な鐘の声なのだ。
その時ジョバンニは目を閉じて親友のことを思い出すのだった。
「鐘の音」
むかしむかし、ゾワメムという尊大な魔女が森に住んでいました。
ある日、ゾワメムはたまには人々を笑わせてみたいと思いました。
「そうじゃ、あの落語の話術を身につけて、皆を笑わせてやる」
とゾワメムは思いつきました。
そして名高い落語家のもとに弟子入りすることになったのです。
しかしどの演目をやってもゾワメムの口から出る言葉は、押し付けがましく鬱陶しいものでした。
彼女が寄席に立つと、観客たちは楽しむどころかお腹がいっぱいになってしまうのです。
寄席のあと観客たちは食事が出来なくなるという始末でした。
とうとう師匠は厳しく言いました。
「落語というのは、つまらないことも、話し手によって面白いものになるんだよ。
ゾワメム、あんたの他人をひれ伏せたいと思う偉ぶった性格は落語家に向いてないよ。才能がないから破門だね」
仕方なくゾワメムは江戸前寿司をたらふく食べて森へ帰っていきました。
「つまらないことでも」