嵐が迫る中で君は必死に逃げようとする。だが嵐は巧妙にその向きを変え君を追いかけるように襲ってくる。
君は、恐れに揺れる感情に飲み込まれそうになる。
それでも君は嵐の渦の中を力強くやり過ごそうとするのだ。
嵐の流れは予測不可能で、
混乱の中にいると、その瞬間のことも忘れてしまう。
そして、時が過ぎ去った後に振り返れば、君自身が以前とは異なる存在になっていることに気付く。
嵐とは時の傾きであり、時の流れそのものなのだ。
君は、時を見極める可能性を自分に見つけ出し、自分の翼を信じることが出来るようになっているかもしれない。
「嵐が来ようとも」
フランス留学中の浅倉慎也は、作品の独創性を模索し続けていた。
彼はルイーズミッシェル広場の芝生に横たわり、深い青空を見上げていた。
紺色に近い空に浮かぶ真っ白な雲がそっと切れ、眩しい陽射しが差し込む瞬間、彼の中に何か特別なものが舞い降りてきた。
まるで神の啓示のように。
この時、彼の作品の方向性が確立されたであろう。
のちに「セキュエンタリズム」と名付けられる彼のオリジナル手法が、ここで生まれることとなったのである。
「神が舞い降りて」
空気椅子スクワットで筋トレをしているドリッキィが、友達と5人で居酒屋に行ったんだ。
そこのお店の人から
「すみません、今、4人掛けテーブルしか空いてないんですよ」
って言われたけど、ドリッキィは
「大丈夫です」
と爽やかに席に着くのさ。
そして、ドリッキィは空気椅子にチャレンジする。
「だってみんなにはすぐに気持ちよくテーブルについて欲しいし、待たないのが一番だよ。
それに、これで太ももと体幹も鍛えらるから、自分のためにもなるしね」
ってご機嫌なんだ。
でも、椅子取りゲームのときはみんなから「ドリッキィの空気椅子は無しだぜ」って制限されちゃうのがすごく残念で、ちょっと悲しい思いをしてるのは、可愛いよね。
「誰かのためになるならば」
ユニバーサル大学哲学科の山本先生の教授室で飼われているセキセイインコが、イケメン猫にこんなことを語ったんだよ。
「ピヨ、ピッ、私の人生は鳥かごの中で繰り広げられていたの。
理想の未来を求めて鳥かごから飛び立ちたいと思ったこともあったけど、実は、その鳥かごの中に定められた幸せが詰まっていたわ。
その中で生きて、そしていつかは死を迎えることになる。
でも、守られた死は思い出として新しい生命の一部になるのよ。
私にとって鳥かごは決して不自由の象徴ではなく、どう生きるかを考えるきっかけを与えてくれるものなの、ピッピ」
セキセイインコちゃんも鳥かごの中でフィロソフィーしてたんだね。
「鳥かご」
夏休みに感想文の課題の「走れメロス」を理沙ちゃんが読んで
「すごく面白かった。
でもメロスの行動って短絡的すぎて、ツッコミたくなるところがいっぱいある感じ。
親友を人質にするなんて、おばかでしょと思っちゃう。
学校の感想文には、友人同士が信じ合う素敵な友情とか、作中のキャラクターに太宰治自身を見出したところを書いて提出しようと思ってるんだけど、
やっぱりツッコミどころも書いた方がいいかしら」
って悩んでる。
イケメン猫の僕的には、思ったことを全部書いたらいいと思うよ。
それが本当の感想だし、他の人とも共感できるかもしれないしさ。
「友情」