#子猫
生命の儚さといったら、花か散ってしまうくらいに脆い。
触って存在を確かめることができるのに、わずかな衝撃で呆気なく散る。
いずれ死が来るなら、早いか遅いかのたったそれだけの差だ。
今ここで終わらせても、そういう運命だったと悲しいけれど受け入れるしかない。
「生きたくない」
ぽっかりと虚しく空いた穴から、そっと囁かれた言葉が身体を巡って脳に到達する。
でも、死にたいわけでもない。
暑い、眠い、だるいと、普段なーんにも考えないで無意識に溢れ出るそれと同じような重さだ。
辛いときに、逃げ出したいときに、もう限界ってときに、命を盾にして自分を守ってきた。
しかし、今はどうだ。生きたくないことが根のように張り巡らされてしまい、生きたくないが口癖になっている。
でも、本当につらいのだ。つらくてつらくて堪らない。
大切な命を賭けてしまいたくなるくらいに、つらい夜が。
「にゃーん」
鈴の音を鳴らして、愛猫がお腹を横断した。
横になった私のそばに小さな体をぴったりとくっ付けて目を閉じると、すぐにグルル……と喉のエンジンが全開になった。
気分屋だなあと、丸こい鼻筋を撫でる。
気持ちよさそうにしちゃって、何を考えてるんだか。いや、何も考えてないのか。
私はこんなにも頭の中がいっぱいなのに。撫でられてだらしなくなった顔をみていたら、考えることが馬鹿らしくなってくる。
ふっ、と息を吐くと、今度はもふもふの毛並みに手を滑らせた。
ゆっくりと上下に動く体がこの子の呼吸を感じさせる。
無防備になったその体に耳を付けてみた。
――生きてる。
こんなにも小さな体で、生きてる。
私よりも小さな小さな体で。
胸がギュッとなった。
鼻の奥がツンとして、息をするのが苦しくなった。
死にたい人間のぽっかりと空いた穴に、この子の温かさが伝わって、愛猫の形でぴったりと嵌る。
冷たい夜の布団の中で、ふたつの命の音が静かに鳴り響いていた。
#また会いましょう
別れ際の言葉は「またね」がいい。
たとえ社交辞令でも、
また会いたいです、会えるかもしれません、会えるでしょう、会うつもりです、って再会する未来がある気がするから。
言っている人は、深い意味なんて考えてなくて、ただ結びの言葉に「またね」と言ってるにすぎないかもしれない。
ただの文字として並べた「またね」の言葉について、ニュアンスや雰囲気や色やイメージや含みの、とりとめのないことをたくさん考える時間がとても、とても好き。
#スリル
ハラハラ。ドキドキ。一寸先は光か闇か。
思い通りにいかない。予想外のハプニング。
道に迷って、穴に落ちて、川に流されて。
行き着く先は決まっているのに、すんなりいかない。
それもいい。
スリル満点の旅路。
トラブルも楽しむ。それがワタシのやり方。
#意味がないこと
意味を探してる。
行動に、言葉に、芸術に、人生に、一体どんな意味があるのだろう。
空白になった解答欄は、今も埋まらなくて、白紙のままだ。
時々、いいなって思った言葉を当てはめて、消して、失って、また白に戻る。
正しい解答も、ぴったりと当てはまる言葉も、納得するような価値も得ることがないまま、心臓だけが止まらずに動いてる。
何かを前にしたとき、心より、頭が先だったの。
「それって、意味があるの?」
思考を司る私が問いかける。
怒ってるような、悲しんでるような、複雑な表情で見つめていた。
「さあ、どうだろう?」
感情を司る私は笑った。
「意味なんて、あるもんか。私が好きだから。楽しいから、ハッピーになるから。これ以上に意味なんて必要かな」
物事に対して、私たちが意味を勝手に与えて、考えて、納得したいだけ。
この地球上にあるものたちすべては、ただ『存在している』なのだから。
どんなことも、誰かにとっての意味であるのかもしれないって、
ただそれだけ。
#あなたとわたし
わたしに「ある」感覚が、あなたには「ない」。
あなたに「ある」感覚が、わたしには「ない」。
同じ人間という生物なのに、まるで全く違う生き物のように感じてしまう。
“好きな人と、手を繋いだ。キスをした。それ以上をした。”
目をうっとりさせて、キミは頬を赤くした。人間が勝手に設定した“大人”の年齢を過ぎて数年経っても、未だにわからない感覚にワタシは首を傾げた。
「だって、それが愛でしょう?」
それが愛の証明であるかのように、言い切った。
さも当然かのように。
「まだ本当に好きな人に出会ってないだけだよ」
『ワタシはわからない』に返されるアンサーは決まってこうだ。
違うのだ。
ワタシは、本当にわからない。
わからない出来事が起こるたび、ワタシは自分自身を疑った。
同じ人間という生物なのに、どうしてワタシはわからない?
どうしてワタシには、その感覚がない?
――――ワタシは、どこか欠けているのだろうか?