40「ごめんね」
「ごめんね。ドーナツ20個食べちゃった」
今の世には「食べつくし系」ということばがある。
本来家族で分けあうはずの食事を、自己中心的な理由で食べ尽くしてしまう人物や様相をさす。
よろしくない性質だと思う。食べ物をただしく譲りあえないというのは、幼児性やハラスメント気質の現れだ。
「ごめんね。また食べ尽くしちゃった」
「いいよ。こっちこそ、30個作らなくてごめんね」
しかし僕たちの場合は事情が違う。
僕は彼女のその気質を、例えようもなく愛しているのだ。
僕は、愛した人を極限まで太らせたい資質を持っている。おそらくこれにも、何かの病理としての名前がついているだろう。まったく構いやしない。
僕は病気だ。そして彼女も病気だ。僕が作る格別のドーナツで、彼女はどんどん太っていく。最近は動悸がするから走るのが辛いという。普通の店では服が買えないという。
今日も彼女は僕に愛され、何もかもを食べつくす。
「全部たべちゃって、ごめんね」
すまなさそうなこの「ごめんね」は、この世でもっとも美しい響きであると思う。ああ、背筋がぞくぞくする。これからもずっとずっと、どこにも行かないで一緒にいようね。愛しているよ。
39半袖
誰かの半袖を見て嬉しくなるのも、ちょっと後ろめたくなるのも、きっとそれが恋だからだ。
そんなことを考えながら、駅から妻が出てくるのを待っていた。結婚30年になるが、軽やかな薄手のカットソーに衣替えした姿を見ると、今でもなんとなく心が踊る。今日は久しぶりに、外で待ち合わせて珈琲でも飲みに行く予定だった。梅雨入り直前の重たげな空を見上げる。傘を忘れてしまったので、帰りは年甲斐もなく相合傘になるかもしれない。
38天国と地獄
天国にのぼるヤコブの階段
地獄につづく死刑台の13階段
死にまつわる話には階段がよく出てくる。死んだあとまで階段を上らなきゃいけないなんて、つくづくめんどくさい。
だったらまだ生きてた方が楽なんだろうか?
なんてことを考えながら、死後硬直のはじまりかけた遺体をブルーシートに包んだ。詳しい事情は省くが、電話一本で死体を処理する仕事をしている。
今日もこれから、いくつものプロセスをへた完璧な死体隠しをやらなきゃいけない。刻んだり煮たり、埋めたり沈めたり。人体を熟知した冷静なやり口というやつで。
どこかに魔法のような、上って放り込むだけで死体が消える便利な穴ぼこでもないものだろうか。
そんなものはない。
階段を一段ずつのぼるように、地道な作業を繰り返すしかないのである。
さあ今日も、天国にいくのか地獄にいくのか分からない死体を、勤勉に丁寧に、跡形もなく消していこう。労働にハレルヤだ。
37月に願いを
三日月って、シュレッダーにかけたカスみたいだね
二人で手をつないで夜道を歩いていると、彼女にそんなことを言われた。シュレッダーのカス。僕には無い発想だったのでなるほどと感心する。確かに細くて頼り無くて、何かのカスみたいに見えなくもない。空を眺めて歩きながら、この人とずっと一緒にいられますようにと、願った。細くて小さなお月さまは、果たして僕の願いを聞いてくれるだろうか。
36いつまでも降り止まない、雨
生きてても全然いいことなさそうだ。
映画を1000本見たら、死のう。
そう決意して、999本の映画をみた。
今日、近所のミニシアターでリバイバルの「ラストエンペラー」を見る。
それが1000ほんめ。
見たら死ぬ。
タイトルにラストも入ってるし、ちょうどいい。
今日が人生最後の日。
そのはずだったのに。
今日、記録的な豪雨で、そのミニシアターが浸水した。
雨は降り続いている。
当然、上映どころではない。
もちろん、死ぬどころでもない。
貴重な古い映写機やフィルム、映画雑誌やパンフレット。
そういうものが、雨でダメになりかけている。
誰か運び出すのを手伝ってください!
Twitterで回ってきたそんなメッセージ。
仕方ないから、手伝いに行こうと思う。
死ぬのはすこしだけ?お預けだ。