NoName

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7/23/2024, 2:27:34 PM

近頃、頭の中で物語の断片が映像として見える時がある。

どうやら頭の中で、創造の花が蕾をつけ始めたらしい。

断片的なそれらを物語として繋げるならば、ここに上げるには厳しい量の長さになると予想される。

何せ断片の想像だけで、1時間以上使っている。
断片の映像は早送りの様に早く、細部も不鮮明なところがある。
それらを丁寧に書き出すとなると、想像にかけた時間の何倍もの時間と文章量が必要となる。
蛇足だが、「街」の物語を想像した時間は30分程だ。想像時間30分で頭の中ではエンディングまで持っていけたが、文章化はまだ終わっていない。
頭の想像と現実の文章に落とし込む時間は、それだけラグがある。
自分が遅いだけという可能性は否めないが。

さて、断片的な物語が見え始めたということは、本格的にキャラクターが動き始めたのだろう。これはとても喜ばしいことだ。種から育てた花が、蕾をつけた時の様な喜びに似ている。

だが、蕾だけでは、花が咲いたとは言えないだろう。
蕾から先、花びらが綻び、花開いて、初めて花が咲いたと人は言う。

創造の花が蕾のまま枯れることがないように、また、花が咲いた際は仕立てにも工夫が必要となるだろう。

いつか、育てた物語の花をお披露目出来たならば幸いである。

7/22/2024, 2:20:51 PM

もしもタイムマシーンがあったなら。

1年前に自分のことは書いたから、今回はラボ組に聞いてみることにしよう。

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「もしも、タイムマシーンがあったなら、どうするか?」

私の質問を博士は、素っ頓狂な声で繰り返した。
次いで、目をまん丸にし、数回パチパチと瞬きをする。
暫し空中に視線を漂わせると、顎にそっと手を添えた。博士が熟考を始めた証拠だ。
左下を見つめるその瞳は、真剣な色を帯びている。

科学者に非現実的な事を言うと怒る人もいるが、博士は非現実を楽しむタイプである。
そんな博士は、過去に行きたいのだろうか、或いは未来に行きたいのだろうか。その時代に行きたい理由は何だろうか。

私の中で、好奇心がどんどん膨らんでいくのを感じる。
ワクワクと返事を待っていると、熟考を終えた博士が口を開いた。

「牧野富太郎博士とお話ししてみたいな」

牧野富太郎博士とは、日本植物分類学の基礎を築いた一人。約1500種類以上の植物を命名し、現在でも研究者が必携の書とする「牧野日本植物図鑑」を刊行した人物だ。

私達が普段目にする金木犀やクチナシなども、牧野博士によって名付けられた花だ。

「お話しが出来なくても、遠くから眺める事が出来れば十分かも。実際にお会いしたら、きっと緊張して話せないから」
そう言って博士は、はにかんだ笑みを浮かべた。

「あぁ、でも…。星の瞳と早乙女花を名付ける時は、プラカードに【別名希望!再考求む!】って書いて、遠くから振りたいな」

星の瞳は、オオイヌノフグリの別名だ。名前の由来は…ここではやめておこう。
早乙女花の本名は、…うん。こちらも、ここではやめておこう。
どちらも、【かわいそうな名前ランキング】にあがる植物たちと言えるのは確かだ。

私は博士の言葉に、激しく首を縦に振って同意した。

7/21/2024, 12:31:39 PM

今一番欲しいもの…。

欲しいものは、色々ある。
お金・時間・自由・健康・才能・平穏な日常・etc…。
あげていったら切りがない。

欲しいという感情が──心が「良い」と感じ、手に入れたら「幸せになれそう」という想像からなるものだとしたなら──欲しいと思うものの数は、そのままこの世界にあるものへの興味と同数になるのではないだろうか。

欲しいものの数だけ、この世界に興味がある。

こう解釈すると、欲しいものが多いのは別に悪いことではなく、そこに上下を作る必要もない気がするが…さて…。

純粋に欲しいと思う感情と貪欲は、紙一重。
故に、守るべきは倫理観のみで、あとは自由──。
それくらいの緩さが自分には丁度良い。
欲しいものは興味があるから欲しいのであって、そこに一番も、二番も関係ないのだから。

7/20/2024, 12:29:40 PM

NoName。

この名前を使って1年ほどになる。

他に紛れる事が出来るこの名前は、1年経った今も変わらず気に入っている。

没個性的で、存在の希薄さを伴う感じが実に心地好い。

多くの人が行き交うスクランブル交差点に何食わぬ顔で紛れ込み、ふとした瞬間に人混みから姿を消しても誰一人気付かない──。

そんな妄想を抱いてしまうくらいには、この名前を気に入っている。
今後もこの名前を変えることは、ないだろう。

7/19/2024, 2:45:06 PM

視線の先には、カレンダーがある。

土曜日、日曜日、月曜日。
楽しい三連休はあっという間に通り過ぎ、またやってくる土曜日、日曜日…月曜日。

私が先程から穴が空くほど見ているのは、日曜日だ。

ここのところずっと行くか行くまいか決めかねている、飲食系のイベントが日曜日に某所である。

参加したい気持ちがあるのだから、心の赴くままに参加すれば良い。
気持ちを優先するならば、その通りである。

しかし、事はそう単純ではなく──心軽く参加を決められないのには、2つほど理由がある。

まず、小麦を接種すると肌に吹き出物ができてしまうという体質の問題だ。
今回、私が食べたいと思っているものは、小麦が使われている。
食べたいという気持ちを叶えることは可能だが、食べたら薬を飲まなくてはいけない。
そこまでして、食べたいという気持ちを満たすべきか否か。これが1つ目の問題だ。

第2の問題は、日付だ。
日曜日の次の日、月曜日は普通に朝から仕事がある。
出かけた次の日は、休まないと疲労が抜けない私にとって、日曜日のイベントはなかなかにハードルが高い。

普通に考えれば「見送る」が妥当なのだろう。

しかし、食べてみたいという感情の発露を潰してよいものだろうか。
一度きりの人生、好奇心があるものは体験すべきなのではないだろうか。

吹き出物の問題は、一時の我慢でなんとかなるだろう。薬を飲んで、以後小麦の摂取をしないようにすればなんとかなる。

やはり問題は、曜日だ。
…土曜日だったなら良いのに…或いは、月曜日も休みだったなら何の問題もないのに…。

視線の先にあるカレンダーは黙したまま、通常の休みを掲示している。

…仕事で疲れた今日は、決断出来そうにもない。
疲れていると、まともな判断は出来ないものだ。
仕方ない、仕方ない。
明日の自分に託すとしよう。

明日の自分、決断よろしく。

…何処からか「疲労を言い訳に決断を先延ばしにするなっ!!!!」という怒声が聞こえてきた気がするが、多分気の所為だろう。

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