NoName

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7/21/2024, 12:31:39 PM

今一番欲しいもの…。

欲しいものは、色々ある。
お金・時間・自由・健康・才能・平穏な日常・etc…。
あげていったら切りがない。

欲しいという感情が──心が「良い」と感じ、手に入れたら「幸せになれそう」という想像からなるものだとしたなら──欲しいと思うものの数は、そのままこの世界にあるものへの興味と同数になるのではないだろうか。

欲しいものの数だけ、この世界に興味がある。

こう解釈すると、欲しいものが多いのは別に悪いことではなく、そこに上下を作る必要もない気がするが…さて…。

純粋に欲しいと思う感情と貪欲は、紙一重。
故に、守るべきは倫理観のみで、あとは自由──。
それくらいの緩さが自分には丁度良い。
欲しいものは興味があるから欲しいのであって、そこに一番も、二番も関係ないのだから。

7/20/2024, 12:29:40 PM

NoName。

この名前を使って1年ほどになる。

他に紛れる事が出来るこの名前は、1年経った今も変わらず気に入っている。

没個性的で、存在の希薄さを伴う感じが実に心地好い。

多くの人が行き交うスクランブル交差点に何食わぬ顔で紛れ込み、ふとした瞬間に人混みから姿を消しても誰一人気付かない──。

そんな妄想を抱いてしまうくらいには、この名前を気に入っている。
今後もこの名前を変えることは、ないだろう。

7/19/2024, 2:45:06 PM

視線の先には、カレンダーがある。

土曜日、日曜日、月曜日。
楽しい三連休はあっという間に通り過ぎ、またやってくる土曜日、日曜日…月曜日。

私が先程から穴が空くほど見ているのは、日曜日だ。

ここのところずっと行くか行くまいか決めかねている、飲食系のイベントが日曜日に某所である。

参加したい気持ちがあるのだから、心の赴くままに参加すれば良い。
気持ちを優先するならば、その通りである。

しかし、事はそう単純ではなく──心軽く参加を決められないのには、2つほど理由がある。

まず、小麦を接種すると肌に吹き出物ができてしまうという体質の問題だ。
今回、私が食べたいと思っているものは、小麦が使われている。
食べたいという気持ちを叶えることは可能だが、食べたら薬を飲まなくてはいけない。
そこまでして、食べたいという気持ちを満たすべきか否か。これが1つ目の問題だ。

第2の問題は、日付だ。
日曜日の次の日、月曜日は普通に朝から仕事がある。
出かけた次の日は、休まないと疲労が抜けない私にとって、日曜日のイベントはなかなかにハードルが高い。

普通に考えれば「見送る」が妥当なのだろう。

しかし、食べてみたいという感情の発露を潰してよいものだろうか。
一度きりの人生、好奇心があるものは体験すべきなのではないだろうか。

吹き出物の問題は、一時の我慢でなんとかなるだろう。薬を飲んで、以後小麦の摂取をしないようにすればなんとかなる。

やはり問題は、曜日だ。
…土曜日だったなら良いのに…或いは、月曜日も休みだったなら何の問題もないのに…。

視線の先にあるカレンダーは黙したまま、通常の休みを掲示している。

…仕事で疲れた今日は、決断出来そうにもない。
疲れていると、まともな判断は出来ないものだ。
仕方ない、仕方ない。
明日の自分に託すとしよう。

明日の自分、決断よろしく。

…何処からか「疲労を言い訳に決断を先延ばしにするなっ!!!!」という怒声が聞こえてきた気がするが、多分気の所為だろう。

7/18/2024, 2:23:16 PM

言葉がうまく出てこないとはよくココでも言っているが、本当に出てこない。

どれほど出てこないかというと

頭では流暢な言葉が流れていても、いざスマホで打とうとすると、頭の中で思っていた言葉とは違う言葉が出力されてしまうくらい、表現したい言葉が出てこない。

これは何も、話し言葉を書き言葉に変換する為に起こる弊害ではなく、純粋に違う言葉が出てきてしまう。
そのせいで話の流れが変わってしまい、当初思っていたオチにいかなかった話も多々ある。

昔よく起きていた「言葉が喰われる現象」とも似ているようで少し違う。

言葉が喰われる現象は、言葉として出力しようとした瞬間に何者かに言葉を掠め取られる感覚がある。
その為、私はこの現象を「言葉泥棒」と呼んでいた。

言葉泥棒は、それはそれは見事な泥棒で、頭の中で生まれた言葉が手に伝わるまでのラグを狙って盗んでいく。

頭から一度生まれたのだから、もう一度同じ言葉を作ることが出来るはずなのだが──。
言葉泥棒の手にかかると、どんなにその言葉を思い出そうとしても、二度と出て来ることはない。

言葉泥棒は、一流なのだ。

その為、昔はよく「言葉泥棒に言葉を取られた」と一人キーキーと怒っていた。

しかし、現在起きている現象は、言葉泥棒の時とは違う感覚がある。
こちらは、出力しようとした瞬間に言葉の方が化けてすげ替わっているように感じる。

類語であるのならば、何ら問題はないのだが、想定外の形になるから困りものだ。
しかも、再度頭の言葉を出力しようとしても変容してしまっていて、元の言葉は消えてなくなっている。

こんな変な感覚を持っているのは、私だけなのだろうか?

その他、物語の手法として好んでやっていた事が出来なくなっていたり、ペアとなるべき言葉の片割れしか出てこなかったり、情緒が希薄になっていたり、あれこれあげると切りがない。

使わなくなった回路は消失してしまうと聞いたことがあるが、また使い始めれば開通してくれるのだろうか。

いい加減不便だからそろそろ開通して欲しいのだが、開通はいつなのだろうか。
開通予告がほしい今日このごろだ。

7/17/2024, 2:59:21 PM


ガラスの中で、ユラユラと花が揺れている。

赤、ピンク、オレンジ、白のガーベラが美しいそれは、博士の誕生日プレゼントとして届いた代物だ。

それを届けてくれた──資料庫に現れた配達員の話を聞いた時は、博士の非常識っぷりに驚いた。

施設内に許可なく入り込まれたら、普通は110番案件だ。それなのに普通に受け取ってしまうとは、いかがなものか。
常識を力説する私に、博士は「真面目な君らしいなぁ」と、のほほんとしていた。
もう少し、危機感というものを持ってほしい。

件の配達員は配達伝票を回収した後、資料庫の扉に触れ──扉を開ける間もなく姿を消したという。

博士は「不思議なこともあるもんだよね。貴重な体験しちゃった」と笑っていたが、私は笑えない。

突如現れて消えていくなんて、お化けではないか。
…無理!普通に怖いっ!

もし、私一人の時に対応していたとしたら、お巡りさんを呼ぶか、卒倒するかの二択しかない。
博士のいる時に現れたその配達員は、不幸中の幸いだったといえるだろう。

ハーバリウムが届いてからというもの、博士は暇を見てはハーバリウムを掌の中で転がしている。
色の無い研究室に、その色は一際映えて見える。

花が好きな博士のことだから、プレゼントがお気に召したのだろうとあまり気にしていなかったのだが──

ユラユラと揺れるガーベラを見つめる博士は、どこか遠い目をしている。
まるで遠い日の記憶をなぞっているかのようなその目は、静けさの中に旧懐の色がある。

ユラユラと揺れるガーベラは、その瞳を静かに受け止めていた。

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博士とハーバリウム
テーマ「遠い日の記憶」

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