河津桜の枝先に小さな蕾を見つけた。
寒暖差の定まらない気候の中でも小さな命は
春を向いている。
彩りの季節まであと少し。
Ilove you
「愛してる」なんていう一言で
この胸にある感情全てを表せることなんて出来ない
生まれてきてくれたこと
今日まで命を投げ出さないでいてくれたこと
出会ってくれたこと
この沢山の奇跡をなんと言えばいい?
愛しているだけでは尚足りない
だから、
I love youの代わりに
貴方という存在の奇跡に敬意と感謝を。
貴方は奇跡の人。
太陽のような存在は、推しかな。
推しが生きてくれているだけで
ちょっと残念な日も
「まぁ、そんな日もあるよね」と軽く流せる。
推しと同じ時代を生きる
そんな奇跡が日々起きているのだと思うと
心が明るくなっていくから。
やっぱり推しは太陽のような存在だ。
0からの
0は「無いがある」という非常にややこしくも、数字として存在していないと困るものでもある。
数式でも0は特別で
0に数字を足しても引いても数字は変わらず
0に数字を掛けると0になり
0を数字で割ることは出来ない。
そんな特別な数字0を冠した
0からのスタートという言葉がある。
上記を踏まえると
特別数字を持ってスタートしていることになる。
スタートが上手くいかなくても特別数字故に扱いが難しかっただけと思えるし、
0は、「何も無い」=「存在しない」ではなく「無いがある」=「存在しないが、ある」のだから
存在の肯定は既にしてくれている。
0から肯定されているのだから、次の数字1へと変わることも出来る。
0からのスタートは、一見一人のように見えて、
見えない味方は既にいるのである。
同情
うーん、好きではないな。
同情って良い意味もあるけれど、どちらかというと上から目線的な雰囲気の方を捉えてしまう自分がいる。
だから、するのもされるのも、個人的には好きではない。
…言語化が難しいな。
どうやら普段かなり感覚的な捉え方をしているもののようだ。
…。
同情って、
どの位置から言う(言っている)の?
っていうのもあるし、
判断の価値基準は個人的なもので、ズレている可能性もあると思う。
…こういうことを思うから、下手なこと言わない、やらない方が…と思ってしまう。
あと、個人的に人に対して言えないことは、人からも言われたくないというタイプでもあるので、やっぱり同情って微妙なものだなぁと思う。
本来の良い意味だと、親身や思いやりという言葉があるんだけど、どうしてか素直に言葉を捉え難い。
…まぁ、もしかしたら、そのように難しくしているのは自分の心かもしれないけど。
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さて、この文を書いてから少し時間を置いた今
ゴチャゴチャとしていた言葉が整ってきたので追記に残しておくことにする。
相手には見えない、言外の言葉がこの世界にはある。
同情の言葉が本当に本音からくるものと、心ではまったく思っていないのに同情という形をしている事がこの世界にはある。
なので、同情された時、本当に言葉通りで合っているのか疑う癖がついてしまった。
また、その様に疑うこと自体辟易している自分がいるので、下手に相手を同情することもしなくなった。
だから私は、ただ相手の話を聞く。己に湧く感情よりも事実を捉えることを優先し、相手の幸せを願うからちょっとしたアドバイスをする。それが私の中でスタンダードになっている。
それが世間でいうところの同情というのだろうか。
やはりわからない。