今日の天気予報は晴ところにより雨、降水確率は10%だった。
「んあ?」
学校からの帰り道、晴れた空からぽつり、ぽつりと雨粒が頬に落ちてくる。ああ、天気予報当たったんだね。と言うか。
「傘持ってきてないんだけど……」
しかも、近くに雨宿り出来るような場所もないし。とりあえず、走ればいいのかな。
「せーのっ……っと?」
走り出す一瞬前。後ろからとん、と肩を叩かれる。
「……走るの?」
「うん、このまま濡れて帰ったら洗濯とか大変だし、玄関から私の部屋までのルートが傷んじゃうし、まああとはどうでもいいけど風邪ひくかも知れないし」
「風邪はどうでもいいんだ……」
真顔でそう言う私に、引きつったような笑顔を浮かべる彼女。
「ここ、入っていいよ」
彼女はさしている傘を指してそう言う。
「いいの?」
「ええ、このまま放って帰って風邪ひいたら大変でしょ?」
「それは別にそこまででも」
「いいから入りなさい」
あ、キレた。
「……ありがとね」
「構わないわよ、先生?」
彼女は、笑いながらそう言う。
「ほんと、ありがと」
誰にも聞こえない声で、私は呟く。
世界でたった一人の、愛しい妹へ。
知りたい。もっと、もっと。
思えば、彼の人生は知ることに費やされてきた。彼にとっては、人生に意味などなかった。そして彼はこう考えた。『全てを知れば、或いは』と。
やがて床に伏せそれでも全てを知ろうとした彼は、今際の際にようやく気付く。
それ自体が、彼の人生の意味だったということを。
山吹色に染まる街。私は、高台にある公園からそれを眺めていた。
今年は気温が高めとはいえ、一月の、ましてや夜明け直後の風は冷たい。よかった、使い捨てカイロも持ってきておいて。
「『見るべきものは見つ』、ってとこかな」
昨夜がりごりノートに書き込んでいた言葉が口をつく。まあ。
「討ち果たされるときなんだよねぇ……。この言葉」
一つ、ため息をつきながらそう呟く。源平の合戦、壇ノ浦。平知盛の言葉が、何故か私にはすとん、と胸に収まってしまった。
「じゃあ、帰ろうか」
踵を返して、家へ。伸びる影を見ながら、私は願う。
いつか、私がこの言葉を本当に口にしないことを。
海に沈む夕陽が、水面にきらめく。そして、堤防沿いの道の少し先、みんなが大きく手を振っている。
ああ、これはいつもの夢だ。まだ、幸せだと思うことが出来たあの頃の。けれど、もうすぐ夢は覚める。朝日が昇れば消えてしまう、冬のはじめの風花のように。
ああ、どうか。神様でも、悪魔でもいい。この夢を、この現実を、終わらせないでください。
幼い頃の思い出は、常に祖母が隣で微笑んでいた。今でも笑い話になるのは、祖母の部屋の障子に穴を開けて顔を突っ込んで泣いていたとか、夜中に布団からいなくなったと思ったら何故か祖母の部屋の隅に丸まっていたとか。そんなことがあっても、祖母はいつも笑って頭を撫でてくれていた。
「……じゃあ、片付けようか」
「……うん」
その祖母が亡くなって、私はお母さんと一緒に部屋を整理していた。
「あ、この写真……」
「何?」
「七五三のときじゃない?」
そこに写っていたのは、振袖を楽しそうに振り回している幼い私と、それを見て困ったような祖母。うん、確かにそうなんだけどそうじゃないよね昔の私。
「あらあら」
「また何か?」
「おばあちゃんの似顔絵。描いた覚えあるでしょ?」
丸められた画用紙には、クレヨンで大きく描かれた似顔絵のようなもの。
「画力ないね、私」
「別にいいのよ、そんなの」
「そう?」
「ええ」
そんなものなのかな。
「あ」
「どうしたの?」
今度は私が見付ける番。それは、昔飼っていた犬に普通のそりを引っ張ってもらって楽しそうにしている冬の写真。確か、この後カーブでそりがひっくり返って、犬が『大丈夫?』といった風に戻ってきた思い出が。
「何か、色々残してたんだね」
「それはもう、可愛い可愛い孫だったからね……あら」
「今度は何?」
出てきた小さな箱を開けて、お母さんが目元を押さえる。
「……あなたに、だって」
差し出された箱の中には、祖母の字で『おめかしもしなさいね』と書かれた手紙と、手鏡が部屋の電燈を映していた。
「……ありがとう」
その鏡に写る自分の顔は、涙をこらえた笑い顔。その向こうで、写真に写る祖母が少し笑っていた気がした。