誰よりも
「誰よりも」というフレーズについて考えてみました。
今まであまりに縁がありません。
唯一無二、とは毎日思っています。
人間はみんな唯一無二です。
みんなちがってみんないい、の面もあるし、圧倒的に孤独だ、ってことも同じ。
そのことは今生において恵みだと感じています。
誰よりも、からは人より抜きん出るイメージがあります。
勝負に勝つであったり、たとえば誰よりも愛しているという局面でもなにかから抜きん出ている様子です。
この場合は自分が抜きん出ている場合と、相手を抽出しているケースもありますね、AさんよりもBさんよりもあなたを愛しています、のとき。
ある意味抜きん出るための母体を想定されてからの抜きん出るなんでしょう。
これまで属してきた中で、1番になりたいや1つしかない椅子に座りたいと思ったことがないのかも。
そもそも順位づけの判定方法に納得できるやり方が少ないと感じています。
スポーツの世界やどんだけの金額を稼ぐかとかなら数値化できるのでしょうか、あれはできてるんでしょうか。
あまりに未知の世界です。
だから一体抜きん出て何になるのか、それは何かになってるのか、今だに理解が及んでいません。
矢印の方向性のこともあります。
抜きん出るってタテ方向を感じますが、タテの力がよくわからないのです。
ヨコの推進力はちょっとわかります。
その場で跳ねるとかは1番わかります。
この辺は心のトライブの感じもします。
なんの話?
そんなことばっか言ってるから「これは誰よりも」と胸に誇れることが私の人生には無いよねー。ふふ。
10年後の私から届いた手紙
やっほー!
元気にしてるよね、知ってる知ってる。
引越し終わってしばらく経ったのに飲みに行ける人まだ見つかってなくて、だんだん気力出なくなってきた頃だね。
誰かとたくさん話して笑ってする時間好きだもんね。
今まではどこに住んでも飲みに行くぐらいの人はすぐに見つかっていたのに、ここではどうしてなんだろうって、人に距離を置かれている気がしたり、間違った場所に来てしまったのかとか、結構自分と向き合ったね。
初めての悩みは、いくつになっても初めてだもん、悩むよ。
でもね!大丈夫よー!
トンネルの中は出口の光が見えないから「ほんとに出口あんのかな」って思っちゃうけど、どのトンネルにも出口あるから。
し!か!も!
その出口の先サイコーなんよ。
出会いたいと思ってた人たちとも出会うしね、温めてるだけで外に出せるかなって逡巡してた企画もできたし、心の中に住んでるあの子に命を吹き込むことも叶ってるよ。
全部全部、卵からひよこになって外に飛び立って行ったんよ。
もう思い残すことない。
って想像するじゃん?
とんでも8分、そっからじゃんじゃんバリバリまた卵産まれてくるから、今もあっためてるよ!
だから、今は大船に乗った気持ちで心ぼそさを味わって大丈夫。
待ってるよー!
バレンタイン
もう、バレンタインとか自分の心から離れすぎて今浮かぶのは細川バレンタインさん…。
とはいえ、娘が大きくなってきてチョコを作りたいとか言い始めてるから売り場には行くんですけどね。
もとは企業の始めたイベントだってみんな知ってるのに、形を変えつつまだ存続してるの面白いなぁ。
やっぱり日々にイベントあった方が彩りがありますね。
もう節句とかもだいぶ薄れちゃってる我が家ですが。
多様化が進むと、こういうイベントもどんどん細分化されていくのかな。
今のところ年季行事ではどれかというと、サンタ業務が1番ヘビーかも。
ポケカとか入手困難過ぎぃーサンタさんへの手紙に遠慮なくレアなやつとか出来れば2BOXとか天真爛漫に書いてくるから…。
もちろん希望は叶えられず、リクエストより全然少ない数入れて「あーサンタさんルートでも入手出来ないんだねぇ、人気すぎて!」って言ってなんとか過ぎたけど、ねぇ。
便利と裏表だもんな、不便。
ハッピーバレンタイン!
伝えたい
私はおばあちゃん子でした。
親とソリが合わなくて、社会人になってもおばあちゃんちに泊まりに行ってグダグダ親のこととか聞いてもらってた。
おばあちゃんは特別アドバイスとかしなくて、親に何か言ってくれるわけでもなくて、いつも「あんたと話してると楽しいわ」って言って、何杯も紅茶を淹れてくれた。
笑いのツボも合ってね、なんてことない話で涙が出るほど笑いころげたり、話の尽きないおばあちゃんでした。
ちょっと変わってて、親族からは浮きがちだったおばあちゃんだったから、同じ民族だったのかも。
痛みの伴う持病があったけど「あんたの子供見たいから死ねない」って長生きしてくれて、抱っこしてくれて、1ヶ月で死んじゃった。
こないだ1人でロングドライブして歌いまくっていたらふと、おばあちゃんのこと思い出しました。
もう亡くなってから10年以上経ってる。
思い出すことはあるけど、もう感情が動くことはなくなっていたのに、急に会いたい話したいって涙が溢れてびっくりしました。
きっとおばあちゃん本人はこんなに私のことを支えてくれてたって知らなかったんじゃないかな。
会えていた時にちゃんと感謝やそういうことを伝えていなかった。
でもそれでいいって思った。
誰かにとっての誰かって支えたり支えられたりしているものだと思うから、そうやってめぐればいい。
そこにいてくれることがとても大事。
や、感謝を伝えることは大切です!すぐに伝えましょう!
この場所で
今まで住んできた場所は何箇所かある。
自活のための引越しだったり、離島で働いたり、恋人の家に転がり込んだり、留学したり、結婚したり、家を買ったり売ったり、いろんな「この場所」に住んできた。
久しぶりに大きめの移動をした。
「引っ越してきました」と言うと「どこから?」と聞かれる確率が高く、「東京からです」というと「東京から?なんかすごいですね」みたいな言われ方をすることも何度もあったし、「あー私の娘が千葉に住んでて東京たまに行くけど、私は人多すぎて住めないわ」みたいなことも数回言われた。
東京をすごいところと持ち上げておいてスッと線引きするスタンスや、東京の何がいいんでしょうかね、みたいにちょっと下げてみるスタンスや、いろんなスタイルを感じてきた。
人々が「東京」というものにモヤついた感情を持っていることとそれを表に出すことは「東京」だからやっていい仕草であるんだなと。
他の場所から来ましたと言ったら、同じ人でもそういうことは言わない感じがする。
みんな優しくて良い人なことは伝わっている。
私は東京生まれなので一応東京はふるさとである。
一応、と付いてしまうのは、東京の公共性?というのか、いわゆるイメージのふるさと感は持ててないからである。
変化はえーし。
ずっと住んでいた人間からすると、外側からたくさんの人々が押し寄せてきて、「経済やってます!」ヅラで好き勝手やって金を稼いで、壊して建ててまた壊して、荒んだ空気に疲れた人は帰る場所があるが、地元民はやりたい放題やられてどんなに空気が澱んでも帰る場所のないふるさとである。
離島に住んでいた時期にも、移住者と地元民との確執の話を聞いていて、似た構図に思えた。
「そんな開発賛成した覚えない」と感じる隙も権利も与えられない速さで動いていくから、どうしたって心に蓋をしてこの場所を愛さないようにせざるを得ない。
今まで何度となく愛着を持っていた場所を取り壊され、再開発され、新しいその場所を愛することができなくて喪失感を味わって、その繰り返しが速すぎて心のアキレス腱が切れて蓋を用意した。
加齢による側面はあるがそれだけではない。
東京に生まれたことは私が選べたことではない。
それでも、そういうことは言ってもいいことになっているし、言われても仕方のないことになっているのだな、という温度感勉強になりました。
今回そういうことを新鮮に感じたということは、自分が今まで住んだことのある東京以外の場所はみんな、似た構造の場所だったんだなと気がついた。
特別に東京愛持ってなかったし、むしろ愛着の持ちにくさを感じても来たけど、ちょっと可哀想に思っちゃった。
とか言いながら、今住んでいるこの場所をとても好きになって、これからもこの場所で生きていきたい私です。
ちょっとイキっちゃったの許してちょんまげ。