うんと小さい頃に、何十年も前に両親に買ってもらった足踏み式ミシン。
当時は遊ぶだけ遊んでずっと放置していたものだから父が呆れてしまって「こんなデカブツ買うんやなかった!やっぱりいらん!!」と捨てられそうになったこともあったっけ。
でもそこから火がついて家中のはぎれかき集めて縫い付けてはテキトーな形にカットしただけのこぼればっかりのスカートやなんかを大量に作ったり、とにかく夢中になって創作していたな。最終的にははぎれどころか自分の嫁入りにーってお母さんがしまってくれてた着物なんかも引っ張り出して、おばあちゃんとお母さんに夜まで怒られたんだった。種々のミシンを巡る記憶の断片がよみがえりふと笑みがもれた。
あれから一人暮らしするんにも結婚するんにも何するんにもあんたがいたなぁ。なんか頑固になって一生一緒なんだってずっと決めてたからね。
そんな中でも再びこのペダルを踏むのは久しぶりのことで多少の緊張はしていたが、ひとたび踏みしめれば「キィ」という合図とともに歓迎の意を示してくれた。それからは左右左右と流暢なリズムとともに私の足を動かしてくれる。それはやがて一曲の壮大なメロディーのようにも思えてきて陶酔で目眩がしそうになるほど心地よくなっていった。
昔作った洋服。それは今思うと出来損ないの洋服とも思えないような産物だったかもしれない。だけど今よみがえる鮮やかな記憶の中では、私の中では、一流デザイナーが手がけたスタイリッシュワンピースだったのかもしれないのだ。今になってそのワンピースの袖口に段を入れて襟元にフリルを入れて、もっと気持ちのこもったものとなる。それをあのころの彼女へ贈ろう。
今の私はこのクラシックピアノ然とした打楽器で奏でる演奏者であると同時に、タイプライターを打ち込む書き手でもあるのだ。とある人物への。
それは若かりし頃の自分への、文章として残ることのない、特別な、秘密の手紙。
待ちに待った今日、年金支給日に、ありったけの持ち金を握りしめてこれに賭ける。平日昼間にパチンコキメるなんざあたしらばばあじじいに生活保護か無職の浮浪者しかいないってそりゃあわかってんだ。
だけども、あたしにゃこれ以上の楽しみなんてないんだよ。
有り金が減るごとにどこかで「やっぱりこんなもんか」という虚栄に似た気持ちがあり、つと興ざめしそうになる。いやいや、そんなんじゃ務まらんよ、この遊技は。その一切を捨てた先にあるんだよ、勝ちというのは。
しかし一向に変わらない状況と場内の空気に、自分の心だけがひたすらに焦る。体の中をまさぐられるように熱い血潮のうごめくのを感じる。
「あたしゃこの間ァ10万勝ってンだ!!」思わず脇目も振らずに叫びそうになった。
腕や脚がうっ血した後みたいにドクドクと脈動し、目は血走り、手汗で操作が鈍る。
「隠居してもこれだけ血の巡りが良けりゃあ暫くくたばることはないな」と俯瞰した自分が言った。今この状況はもう死んでもおかしくないけど、最ッ高に生きてる感じがする。こんなにも胸が高鳴る。やれる。
奇跡をもう一度。
我が家は近頃カラスの会合の場になっている。いつも同じ時間に同じ電線にこの大群。これから帰るために点呼を取っているらしい。そんな大切な場所をここにしてくれてありがとう。
カラスたちがこれから帰るのはどこだろう。きっとあの山のあの林の中に向かって一斉に飛び立つのだろう。そして向こうに着く頃にはこの黄昏時もすっかり夜になって、烏羽も闇に溶けていくのだろう。
帰り際にシャンプーを買い忘れたことに気づいて今来た道をもどる。
住宅街も暖かな夕日に包まれて誰一人と歩いてない道にも不思議と人の気配がする。「みんなもう帰ってきたのかな」
家を出る前に見た道端で遊んでた子供たちももう居ない。あ、さっきのサッカーボール、ゆらゆら、いま帰ったばっかりか。
公園のブランコも、すべり台も、この辺には誰もいないよ。きっとお母さんが迎えに来たんだね。
この景色に目を細め歩くと、町中に魚のやける匂い。私も早く家に帰ってご飯支度しないと。やっぱり魚買おうかな。町には誰もいないというのにやたらと暖かい、色んな人の気配が残ってる。
スーパーマーケットに着くと人参とじゃがいもを持ってランドセルをしょった女の子とカートを引くお母さんの姿が見える。靴が砂まみれだ、それにスカートも。さっきまで公園で遊んでたのかな、きっとそうに違いない。
やっぱりカレーもいいじゃん。早く帰らないといけないのになぜだか心はふわふわしている。
家に帰ってまたシャンプーを買い忘れたことに気づく。まあいっか。
きっとこんな日が続く。明日も明後日も。