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うんと小さい頃に、何十年も前に両親に買ってもらった足踏み式ミシン。
当時は遊ぶだけ遊んでずっと放置していたものだから父が呆れてしまって「こんなデカブツ買うんやなかった!やっぱりいらん!!」と捨てられそうになったこともあったっけ。
でもそこから火がついて家中のはぎれかき集めて縫い付けてはテキトーな形にカットしただけのこぼればっかりのスカートやなんかを大量に作ったり、とにかく夢中になって創作していたな。最終的にははぎれどころか自分の嫁入りにーってお母さんがしまってくれてた着物なんかも引っ張り出して、おばあちゃんとお母さんに夜まで怒られたんだった。種々のミシンを巡る記憶の断片がよみがえりふと笑みがもれた。
あれから一人暮らしするんにも結婚するんにも何するんにもあんたがいたなぁ。なんか頑固になって一生一緒なんだってずっと決めてたからね。
そんな中でも再びこのペダルを踏むのは久しぶりのことで多少の緊張はしていたが、ひとたび踏みしめれば「キィ」という合図とともに歓迎の意を示してくれた。それからは左右左右と流暢なリズムとともに私の足を動かしてくれる。それはやがて一曲の壮大なメロディーのようにも思えてきて陶酔で目眩がしそうになるほど心地よくなっていった。
昔作った洋服。それは今思うと出来損ないの洋服とも思えないような産物だったかもしれない。だけど今よみがえる鮮やかな記憶の中では、私の中では、一流デザイナーが手がけたスタイリッシュワンピースだったのかもしれないのだ。今になってそのワンピースの袖口に段を入れて襟元にフリルを入れて、もっと気持ちのこもったものとなる。それをあのころの彼女へ贈ろう。
今の私はこのクラシックピアノ然とした打楽器で奏でる演奏者であると同時に、タイプライターを打ち込む書き手でもあるのだ。とある人物への。
それは若かりし頃の自分への、文章として残ることのない、特別な、秘密の手紙。

12/4/2025, 4:33:43 PM