つるりとした無機質な光沢がどことなくチープさを醸し出している、何の変哲もないボールペンのその右側で、「メジャーな文具です」とでも言いたげに陳列されていたアルコールマーカーが目に入ったのは、ほんの偶然で。
けれどそれに目を留めたのは今思えば、偶然でも何でもなく、紛れもない自分の意思だったのかもしれない。
仕事中にボールペンのインクを切らしてしまった私はその日の仕事帰りに駅ビルの中の小さな100均に寄り道をしていた。
元々文具に凝るようなマニアでもないし、ましてや仕事で使うような消耗品。「使えて安ければなんでもいい」と、文具売場にたくさん並べてあったうちの一つを色だけ見て適当にかごに放り込んだ。当然、パッケージなんてろくに見ていないので、どこのメーカーを選んだのかも分からないくらい適当だ。
あとはついでに三角コーナー周りの物でも見ようかな、なんて気持ちで文具売場を後にしようとした時だった。視界に『アルコールマーカー』の字が飛び込んできたのは。
僅か2色しか入ってないそれを思わず手に取れば、なんとも言えず懐かしい気持ちがじんわりと胸に押し寄せてくる。そういえば、中学では美術部に入っていたっけか……なんて。
気がつけば、私はアルコールマーカーを幾つかと、100均らしく薄っぺらなクロッキー帳を一つかごに入れていた。衝動買い以外の何物でもない。
けれど、思い出してしまったからには買わねばならないような気がした。
あの何に例えようもない独特なインクの匂いと、それから無邪気に「私はイラストレーターになりたいな」なんて同じ部活の仲間と笑いあっていた放課後を。
ブランクは二十年。
上手く描けるかは分からない。
でも、ほんの少しの画材たちと一緒に帰路に着く私の足取りは、ハイティーンの少女のように軽やかで弾んでいるのだった。
『あの夢の続きを』
なんか頭痛いな……そういえば体もだるいかも?
動きたくない。
なんか来てる。体調が悪い感じがする。
これは絶対に風邪をひいている。なんかもう、体に熱がこもってる感じもするから間違いない。
つきつき痛む頭を押さえて、いつもの二倍重力を感じる体をどっこいしょと動かして、デスクの上の筆立てに放り込んでいた体温計を取り出した。
たしか、一分しっかり脇を締めてから計ると正しい体温が出やすかったはず。
一分しっかり待って、ひやりと冷たい体温計の先を脇に挟み込んだ。
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ
さてさて。いったいどれほど熱が出てるかな?
『36,9℃』
微熱じゃねえか!!!!!!
『微熱』
小さな明かり一つさえ、スマホで事足りてしまう今の時代。現代っ子の私にとって、蝋燭は蚊取り線香と同じくらい縁遠いものだ。
そして、何か特別な日にしか灯らない。
特別の光だった。
例えば、誕生日ケーキに刺さった小さい蝋燭。
今にも消えそうなほど小さいのに、何故かなかなか消えなくて、必死で息を吹き掛けた。
停電の時に引っ張り出されもしたっけか。
普段の食卓なのに明かりだけが違って、揺らめく暖色の光の中、すごく胸がどきどきしたのを覚えている。なんだかちょっとロマンチックだった。
噂には聞く法事なんかとも縁遠いから、蝋燭の灯火を見て瞼の裏をよぎるのは、そういう少し非日常でわくわくしてしまうような想い出ばかり。
だからかな。
小さく揺らめく火の暖かさと、ブルーライトとも別の眩しさが時折恋しくなるのは。
百物語なんかに使われるくらいだから、その寿命が短い、儚ささえ感じさせる光に、きっと昔の人達も何かを感じていたのかな。そうだといいな。
それじゃあ私のお話、聞いてくれてありがとう。
ふう、と一つ。私はゆらゆらと煌めく非日常の灯火に息を吹き掛けた。
『キャンドル』
つやつや桜色のポリッシュ。
薄塗りでも艶が出るし、血色が良い暖かそうな指先になれるお気に入りの色。
これとパール、それから白のフレンチラインを引いたネイルでお花見したんだよね。
偏光ラメ入りのシアーブルーのポリッシュ。
角度を変えれば、ちらちらと赤や青の光が見える。シアーカラーだからグラデーションも作りやすくて好きな色。
グラデーションを活かしたシェルのネイルで行ったのは夜の海。天の川が綺麗だったのを覚えてる。
とろっと重たいテラコッタカラーのポリッシュ。
色素をたくさん含んだ液は少し重たくて、たっぷり液が付くからひと塗りでしっかり色が乗る。
ちょっとシックにマットトップを塗ったワンカラーネイルをして、紅葉狩りに行ったんだ。お揃いの色が可愛かった。
キラキララメ入りアイシーホワイトのポリッシュ。
純白の中でキラキラとラメが輝いて、まるで雪空のよう。ちょんちょん、と筆でつつくようにしてラメを足すと更にキラキラになる。
キラキラのラメと小さなリボンパーツでフレンチガーリーなネイル。散りばめたラメがイルミネーションの光でより煌めいていた。
私のポリッシュコレクション。
一つ一つの色に、たくさんの思い出がある。
次はどんなネイルにしようかな、なんて考えながら私はまた可愛いが詰まった小瓶を取るのだった。
『たくさんの思い出』
か細い声で、必死になって鳴いているあなたを見つけたのは完全な偶然だった。
薄汚れた小さな段ボールの中で、私の両手のひらくらいしかない小さな小さな身体全部を使って、懸命に生き延びようとしてるあなたが、あんまり可哀想で、それであんまり可愛いから、無理を言って家族に迎えてもらったのをずっと覚えてる。
抱き締めた体は小さくてふわふわで、暖かかった。
「みぃ!みぃー!」
「なあに? みいちゃん、ごはん?」
みいみい鳴くからみいちゃん。
我ながら安直な名前。でもかわいいよね?
寒い日は、もう寒くないようにって一緒に寝たね。いつの間にか、私があなたを連れてくより早く、お布団にスタンバイしてるときもあった。
すごく嬉しかったよ。
みいちゃん。
みいちゃん。
「大好き、」
私の涙声の後、小さな声でみいちゃんが鳴いた。
「……いかないで」
ふす、と小さく鼻を鳴らす。
みいちゃんのお腹を撫でる私の手を、尻尾がするりと撫でていった。
ねえ、みいちゃん。
あなたと、わたし
『また会いましょう』