忘れたくても忘れられないことやものは自らが苦い苦しい出来事を乗り越えて頭だけではなく気持ちや身体に刻み込まれたことを言うのかなと私は思います。
一つは祖父の死でした、祖父が他界する前、危篤になる前の僅かな時間を中学生の私と祖父は言葉を多くは語らないまでもその背中や行動や姿で語ってくれました。
そして、亡くなる直前、祖母や息子達(父や叔父達)、私たち(孫達)に見守られながら穏やかに息を引き取りました、その時にもっといろいろ言葉を交わしておけばとか人が死ぬ悲しさとかを肌で感じた瞬間でした。
二つ目は敗北を知るから勝利が格別に嬉しかった、高校時代に和太鼓を部活でしていて、部活である以上発表する機会があり、大会もありました、スポーツでいうところのインターハイの県代表を決めるような大会があり2年生の時に自分達が主になって出場するのですが惨敗、すごく悔しい反面、結果通りな気もしました、その時はあまり真剣に和太鼓に打ち込めてなかった気がしたからです、しかし、3年生になり様々なことがある中で心境の変化、環境の変化もあるなかで自らと向き合うことができ、それでも大会へのプレッシャーなどから涙を流したことやぶつかることもあったけど、結果は優勝することができて、その結果発表の瞬間の感動は身体が覚えてる。
3つ目は娘を抱いた時、今これを書いてる現時点で私は血の繋がる我が子を抱いたのは一度きりです。
やはり我が子を抱けるというのは人生で素晴らしい経験の一つだと思う、離婚により離れ離れになっているからこそ我が子を抱っこした瞬間が愛おしくも忘れられない思い出になってますね。
健康ですくすくと育ってくれることを願うばかりです、願わくばいつかはそんな我が子に会いたい、そのために今を精一杯生きねばとおもいます。
本日の題目は「岐路」ですね、きろと読んだりえだみちと読むそうですね。
人生においてもいろいろな岐路(えだみち)が存在しますよね。
過去を振り返ればあの時のあの選択があったから今の自分があるのだと思えたり、あの時のあの出会いがあったから今の自分を作っていたりさまざまな人生という物語の道を歩んできたからこそ輝いているはずです。
そして、まだ人生という物語は完結ではございません、まだ途中だということです。
これからもわたしやあなたの物語には必ず岐路に立たされることが起こることでしょう。
例えば、結婚、離婚、出産、入学、入試、入社などなど挙げればきりがありませんがその様な時に、どの道を選んでもきっと後悔することがあるかもしれない、なら自分自身が悩みに悩んで出した答えでもっとも後悔することが少ない道を選ぶべきです、その道を選ぶ指標になるのがそれまでの人生で培ってきた知識や技術、すなわち経験と呼べるものだとわたしは思います。
わたし自身みなさまに誇れるようなことはあまりないかもしれません、しかし、わたしが今日まで道をそれることなくこれたのは迷った時に相談できる良き友人や恩師、先輩、親、人に恵まれたことだと思います、それがどの道に進むかを決める道標でしたね。
お題が「誰にも言えない秘密」だそうです。
人は人生を重ねるたびにいろいろな経験をするものです、成功や失敗と名前がつけれるものがある一方で、自分や他人からの評価が得られない、つけれない経験もあるはずです、そんな中に他人には打ち明けることが出来ない自分の中にだけに留めておきたい拠り所があることもあります。
しかし、綺麗な物だけではないはずです、「誰にもいえない秘密」とはそれを表に出してしまうと知った人が傷ついてしまう、もしくは傷つかなくとも同じぐらい悩ませてしまうかもしれないことがあるかもしれません、どちらにしても他人と共有することに相応のリスクを抱えることになるかもしれないから秘密というのかもしれませんね。
なので人の誰にも言えない秘密をしることはそれ相応の覚悟が必要ですよ、ドキドキワクワクのその場の好奇心で聞くのもいいですが、それを受け止めるには少なからず覚悟を持ってきくことですね。
私の誰にも言えない秘密ですか?
知りたければまた次の機会でね
君と出逢って本当に幸せでした。
18歳の時に当時の友達の紹介で出会ったのがきっかけだったよね、その後、何回かデートや連絡を取り合って俺から告白して付き合いはじめて、あなたはかつて好きだった人を忘れるために吹っ切るために新しい恋をはじめるんだって言っていましたね。
そこからいろんなところに行ったりしたね、学校は違うけど待ち合わせをして一緒に帰ったりよくしたね。
あなたに言われた言葉で一番嬉しかったのは「あなた(俺)にかわいいとか好きとか言われることがすごく自分に自信を持てるようになったのはあなた(俺)のおかげだよ」っていただけたのはすごく覚えてる。
20歳の時、社会人になってお互いの時間のすれ違いから会うことを避けていたら自然消滅しちゃったね、それを10年以上たった今でも後悔してる、いまさら遅いんだけどね。
けどあなたに出逢えたこと、あなたが彼女だったことそれは私にとって人生の宝物だと思うしあなたの時間を共有出来て本当にありがとうございました、感謝しています。
今はもうあなたの幸せを心から祈ることしか出来ない事をお許しください。
いろいろな楽しいことを経験させてくれてありがとう、いろいろな気づきや考えを与えてくれて、ありがとう、最後にあなたの人生に幸あれ
私自身怖がりだと思う。
なにをするにしても傷つきたくない、悩みたくもない、自分を守る事をよく考えてしまいます。
もし、この文書を読んでくれている方もそう思い共感してくれる方なら私はその考えかたでいいと思います。
なぜなら怖がりというのはその行動や言動についての先を考えれるということ。
そのマイナスに思える不安や考えすぎてしまう悩みを自分が出来る範囲で実践してみれば、その行動が経験となり、自らを支える基礎になっていくはずだから。
怖がりで一向に構わないのです、しかし、怖がりでも行動を起こす怖がりであるべきです、行動すれば失敗も成功も経験することができ、自分の財産になる。
いけないことは怖がりで、なにも行動を起こさないこと、なにも始まらないなにも変わらないゼロのままだから、なにかを変えたいならイチでもいい、何か行動することから始めませんか。