幸せとは。
そんな物、考えだしたら終わらないだろと
書店に並ぶ本を憂鬱そうに見つめる。
結果が分かってるくせに一応手に取ってしまうのは、
やはり俺も幸福を求めるただ一人の
凡な人間だということか。
どんな人が幾ら幸せについて説いたって、
それは本当に幸福を求める方法ではないのだ。
自分の幸福は自分で掴むと、昔から音楽だのなんだので
よく歌われているが、俺はその実そうだと思う。
幸福を感じるのは自分だ。言い換えれば、幸福を感じられるのは自分しかおらず、“幸福”そのものの感情は他者から与えられるものではない。
幸せとは。
その本を書いて、読んで、ああこれこそが
幸せだと感じるためには、
著者が自分である必要があるだろう。
他人から与えられる「幸福の定義」は、所詮他人のものでしかなく。これをすれば幸せになれる、だなんて絶対的な方法はないのだ。本や何かで見る幸福の近道は、“一般的に皆が幸福を感じる方法”というだけであり、“私が幸せを感じること”とは違う。
長々と話したが、言いたいことはこうだ。
他人の幸せの基準を見ない方がいい。
それはその人の物差しでしかない。
もし自分が幸福な暮らしをしたいのならば、些細な幸せに
自分の物差しを当てる事を大切にした方がいい。
幸せは見つけることだ。その点で言うと、四つ葉のクローバーとは幸福を具現化したようなものだと思う。
小さな幸せを見つけられた人が幸福になるのだ。
日々が退屈だと言う前に、足元をよく見た方がいい。
そして、もしあなたが自分を不幸だと思うのならば、
その時は小さな小さな幸せを積み上げて、
不幸とのバランスをとり、天秤を動かすしかない。
不幸は消せない。あなたの感情は、
あなたがそう思わない限り消えない。
あなたが不幸になった時よりも、ずっとずっと
長い年月をかけて、幸せを積み上げるしかない。
幸福と不幸が、同じくらいになってから、
小さなクローバーを見つけて「幸せだ」と
やっと感じられるようになるから。
『幸せとは』 白米おこめ
本当に些細なことに幸せを感じたモン勝ちだと思う
君の目が開く時のその光が眩しすぎてそれはきっと
「日の出」 白米おこめ
今年の抱負は生きること。
そう書こうとして、ああ、死ぬ時に
「人生最後の抱負を達成できなかった」と
後悔したくはないと思って、書くのをやめた。
今年の抱負は生を全うすること。
楽しく、悲しく、笑って、泣いて、
ただ細々と、時に彩って、のうのうと生きること。
例え死んだとして、その時まで生を全うしていれば
よしにする。
ああこれが良いと、また、去年と同じ抱負を掲げて、
薄っぺらい紙に筆を滑らせるのだ。
今年の抱負が怖い。達成できぬことが怖い。
ただ余りにも簡単であると、
達成した後の日々が灰色になってしまう。
だから、こうする。
「今年の抱負」 白米おこめ
いい文章いっぱい書きたいな
辰の鱗が剥がれる、剥がれる。
風に舞い散るその輝きに目を奪われている間に、
硬い深緑に覆われていたその下の眩い白が現れる。
きらりひらりとその身をうねらせて、
地上へと向かい、散りながら小さくなっていく。
とんとその身が地に這う時には、
一匹の龍は白蛇へと変幻していたのだ。
「新年」 白米おこめ
さっきまで、昨日が今日であったように、
去年が今年であったように、
何も変わらないまま、ずっと、貴方を愛しています。
凡庸だけど、貴方にとっての一年が幸せでありますように。
「良いお年を」 白米おこめ