一口に“愛情”と言えど、
それは姿かたち、色、匂い、味でさえもバラバラであり、
またそれを食す人によっても感じ方が変わる、
摩訶不思議な感情なのである。
誰かに嫌いだと言われた時に、
自分は好きだよと言えることと、
自分も嫌いだよと言えること。
言うなれば、どちらも愛情だと捉えることができる。
…愛の反対は、嫌悪ではなく無関心だという話がある。
言葉を返してくれるのならば、
そこには一種の愛が消費されている。
こちらに伝えたい訳ではなく、伝わることもなく、
会話をするために必要な最低限のコストのような愛。
私達は日々誰かの為に愛を消費して、
そして他者からの愛に口を付けながら、
血液の循環のように、身体中に張り巡らされた愛情の管を
満たして生きているのだ。
「愛情」 白米おこめ
泥濘の始まりのような怠さが身体を重くする。
ぼやけている視界に誰かの姿が映り、
額にはひんやりした手のひらの感触が加わった。
自分の熱が、触れているところから誰かの手へと流れる。
まるで、冬のマグカップの気分だ。
自分に触れる誰かの手は、ひんやりして気持ちがいい。
マグカップも僕達と同じように思うのかもしれないと
思いながら、僕は目を伏せたままその手を掴んで
微かに熱を感じる頬を冷ますために引き寄せた。
頬に触れたその時、手は少し慌てたように力が入る。
僕は熱に浮かされてそれに気付かないふりをして、
薄目のままでその人を見た。
段々と結ばれてきた焦点と共に、
誰かの姿が形を成していく。
言い訳にならないくらいの
些細な微熱をこっそり飲み込んで、
あいもかわらず熱に浮かされているふりをして。
自分の微かな熱を渡すように、
あなたに触れて、溶ける。
「微熱」 白米おこめ
「血って赤いんだよね」
太陽の光を遮るようにして手を伸ばしている彼女が、
脈絡なくそう呟いた。
「…なに、突然」
怪訝な顔を隠そうとも思わずに彼女を見る。背景を揺らしながら、太陽はじわじわと自分達を上からも下からもあっためてくる。否応なしに流れてくる汗を、肩にかけたタオルで拭いた。今は運動会の真っ最中で、グラウンドの方ではわーきゃー言いながら大玉転がしをやっているというのに、彼女は全く戦況を見ていないらしい。まぁ、俺も同じだけど……と思いながら運動靴で地面を擦った。俺が見ているのは、太陽ではないけれど。
彼女は太陽に透けた自分の手を見ているようだった。横からそっとその手を盗み見れば、確かに太陽に翳した手は赤く透けていた。これが直接血を見なくても色がわかる、唯一の方法なんだろうか。
何となく、自分も太陽に手を翳した。眩しさを乗り越るように目を細めれば、彼女と同じように手は赤く透けた。人間みんな同じなんだな、と少し思った。
グラウンドの方から一際大きい歓声が上がった。どうやら、勝負が決まったようだ。翳していた手を下ろして、喜んでいるのがどちら側かをじっと見る。どうやら、自分達のチームが負けたみたいだ。
「…うちが負けたみたいだな」
「これ、勝敗が最後のリレーにかかってるやつじゃない?」
彼女が少しだるそうにため息をついた。俺と同じように、彼女もまたリレーの代表に選ばれているからだろう。近年のあれこれが理由なのか、今年は男女混合リレーが運動会のトリを飾る種目になっている。更に言えば、男女交互にバトンを渡すというルールであるため、彼女と俺は順番が前後だった。プレッシャーかかるなあ、とか言いながら彼女は靴紐を結び直している。俺と違って、彼女は文化部なので他クラスの人と競うのが嫌なんだろう。こればかりは足ばかり速い自分を恨むしかないと、彼女はいつもそうやって笑っていた。
きゅ、と同じように靴紐を結ぶ。運動会も終盤のためか、太陽が少し傾いてきた。秋も半ば、西日とまでもいかなくても眩しい陽に目を細める。
ぐ、と手を肩幅に開き、指先を地面につけた。カウントダウンで膝を伸ばす。スターターなんて柄じゃないと何回もぼやいたが、くじ引きで決まった結果であるためしょうがない。ピストルの鳴る音と共に、身体を前に押し出した。
カーブを走る中、滑りそうになる足でなんとか地面を踏み締める。太陽が背に当たり、さっきの彼女との会話を思い出す。あの時の手と同じように、今度は自分ごと赤く透けているんだろうか。
彼女の背が見えてきた。しっかりとこちらを見据える目には、西日など見えていないようだった。練習していた時と同じ距離で、彼女が走り出す。こちらに目は向けず、されど手は差し伸べたまま。
ぎゅ、とバトンを握りしめる。西日がささった彼女の手は赤い。その赤さに覆い被さるように、俺はバトンを彼女の手に押し込んだ。
暑く眩しい太陽の下で、彼女の姿が赤く透けていた。
「太陽の下で」 白米おこめ
あみあみ。あみあみ。あみあみ………
“男が編み物なんて”
なんて、言われる時代は終わったんです。
喜ばしいことです。
でも、別に慣れている訳じゃないので、
手にマメができましたが、それでもいいんです。
「最初はもっと簡単なのにしたら?」と母は言いました。
全くもってその通りでした。母さん、僕は後悔しています。
あみあみ、あみあみ……
全く終わらない手縫いのセーター。
いやなんで本当に、初心者なのに
初めての作品をセーターにしてしまったんだろう。
……いや、でも、だって。
うちの犬が、寒そうだったんだもん。
「セーター」 白米おこめ
さらさら、砂が落ちていく。
どんな人だって、毎日、毎分、毎秒。
さらさら。さらさら。
誰かの砂時計が落ちて、砂が地面に広がっている。
溢れた砂は元には戻せない。風に乗って飛んでゆくだけ。
落ちた砂は戻せない。砂時計は逆さにはならない。
ただ流れ落ちる砂の音を、誰もが同じように鳴らしている。
「落ちていく」 白米おこめ