クリスマスキャンドルがとろけて消えるくらいに
また、おやすみの誓いを。
「キャンドル」 白米おこめ
人が天へと登る時は、その魂が軽くなるように、
その人の想い出を一つずつ空から落とすのだ。
大事な想い出ほど、人は離しがたくて、離れがたくて。
最後まで抱えて、持っていることが多いのだ。
そうして、最後の方に手放した想い出達は、
地上へと返すには遅すぎるから
空の途中で、ぽっかりと残ってしまうのだ。
その、何処にも行けなかったたくさんの想い出達が、
夜になった時にいっとう輝く星となるのだ。
だから、星降る夜には、どうか。
誰かが生きていたその想い出を、
あなたに思い出してほしいのだ。
「たくさんの想い出」 白米おこめ
「冬になったら、何するか決めようか」
…俺はぼとりと、自分が食べようとしていた
アイスの欠片を落とした。
こいつは、この真夏に何を言っているのだろうか。
あまりの暑さに、頭がおかしくなったんだろうか。
疑問に思って顔色を伺うが、
そこには割と真剣に悩んでそうな横顔があるだけだった。
…暑いからこそ冬に思いを馳せてるのか?だとしても、幾ら何でも気が早すぎるだろ。来年のことを言うと鬼が笑うとすれば、数ヶ月先のことを喋ったお前のことを鬼は半笑いで見つめてるはずだ。
アイスへの集中が途切れた俺の耳を奪い取るように、
音量最大のセミの大合唱が主旋律へと躍り出る。
…買ったのが子供に嬉しく庶民が助かる某アイスバーでよかった。もしこれでハーゲン…を買ってたとしたら、俺はちょっと凹んでいた。
「…気が早すぎるだろ」
はあ、と目の前のコイツに対してなんだか暑さに対してだかセミへなんだか訳がわからないため息をつく。Tシャツが汗でベタついて気持ち悪い。アイスを食っても、涼しくなるのは口と腹だけだ。さっきまでは視界も涼しかったが、水色が消えた茶色の棒切れでは涼しさのかけらもない。というか、食い終わったアイスの棒を見てアイスに辿り着くような、そんな想像力は俺にはない。ついでに言えば元気もなかった。
地面に落ちたミニアイスには、どこから情報を得たのかアリがすでに数匹群がっていた。よかったなお前ら。冷たいんだから腹壊すなよ。俺の奢りだから感謝して食べろ…だなんてたかがアリに対して俺が恩を売っている間にも、隣の友人は冬にやることについて真剣に悩んでいた。
「まずは雪合戦してさ、その後はかまくら作るでしょ、
そんで、そん中で焼いた餅を食べる」
「涼しくなりたかったんじゃなかったのか…」
はぁ、と今度は明確にコイツに対してのため息をついた。本当に冬にやりたいことを考えていただけなのか。分かんない奴だな…
「予約しとこうと思って」
「予約?」
「…次の季節も、一緒に居られるかなんて
分かんないじゃん?」
にへら、とそいつは笑った。自信がない時の、下手クソな笑顔だ。…俺が言えた口ではないが。
確かに、俺達は今年受験生だ。だからこうして図書館での勉強の合間に、ベンチに並んでアイスを食っている。だから勿論、コイツの言う通り一緒に居られる時間は限られているが、それは来年の春からの話であって、今年の冬はまだ一緒にいられるはずだ。
「…ほら、周りの子達は急に塾に入り始めたじゃんか。だからさあ、こういう風に勉強できるのも時間の問題なのかなーって思って」
「…まぁ、確かにな」
なんとなく感じる重たい空気に、俺は視線をあげられずに落ちたアイスを眺めていた。既に人工のプールと化したアイスの中で、先ほどまで美味しそうに舐めていたアリが足をばたつかせている。アイスで溺れ死ぬというのは、アリにとって嬉しいことなんだろうか。
ぼーっと眺めていると、する、と俺の持っていたアイスの棒が友人に取られた。そして、そのまま溶けたアイスの水たまりへ突っ込み、ばちゃばちゃと足掻いていたアリを登らせて草むらへと放り投げた。おい、ゴミを捨てるな。俺は仕方なくがさがさとそいつが投げた草むらの中へと棒を探しに行く。
優しくないんだか優しいんだか分かんないね、とそいつは笑った。当たりつきでもないまっさらな木に何があると言うのか。アリは助けないくせに、ゴミは拾う。アリは助けるくせに、ゴミはそこら辺に捨てる。お互い似たようなもんだろ、と俺は呟いた。そしてそのまま、浮かんだ疑問を包み隠さず目の前の友人に問いかけた。
「…別に、わざわざ冬に予約しなくてもいいだろ」
カサ、とゴミ箱へアイスの棒を捨ててから振り返る。
「冬って、もう受験シーズン真っ只中だし…予約しても、遊べない確率の方が高いだろ。しかも、会えなくなるのは受かってからの話だし…なんでそんな中途半端な時期に予約するんだよ。いや、そもそも予約ってのもおかしいけど…」
もごもご、と考えていた疑問点を全てそいつにぶつけてみる。コイツの事なので、まともな答えが返ってくるとは思ってなかったが予想外にも友人は小さく口を開いた。
「……今年遊べたら、嬉しいし。
もし無理でも、来年にって言えるから」
どこかバツが悪いように、友人はぼそりと答えを零した。
…つまりあれだ。コイツは、今年のことを予約しながら、同時に来年のことも予約しようとしていたのだ。鬼は大爆笑間違いなしだが、俺にとってはその、何というか……
「…そんなに、……大事、か」
俺との時間が。友達同士で言うのは憚られたが、つい口から出てしまった。そりゃまあ嫌われていないとは思っていたが、その、まさかここまでとは。……本当は、“そんなに俺のこと好きだったのか”と…聞きたかった気持ちもあるけれど。この状況でこの関係性が破綻したら、冬どころかもう二度と会えなくなりそうだったのでやめた。…嘘だ。そんな勇気も、男らしさも何もかもが無かった。
「……やっぱいいよ。予約キャンセルする」
俺が引いているとでも思ったらしい彼女は、何ともない様子を装って予約をキャンセルすると言い出した。若干寂しそうに見えるのに心を痛める。…こんなに、そんなに大事だったのか、は今では俺の台詞だった。
地面には、まだ懲りずにアイスを隅から啜るアリがいる。
「…ダメだ。キャンセル料金が発生する」
ふるふる、と首を振って俺はキャンセルを否定した。驚いた彼女のまんまるい目がこちらを見ている。
何も考えずに今を楽しんでいたさっきまでの俺は、
きっと地面に落ちたアイスに群がるアリと同じで。
制限時間があるのなんて気づかずに、アイスに溺れて、
あの日の楽しい時間から動けなくなっていたはずで。
そんな俺をお前がこうやって救ってくれようとして、
それなのに、それを訳わかんないとこに捨てようとして。
…そんな事をするんだったら。
お前が捨てたその優しさを、俺が拾いに行くよ。
「冬になったら、何しような」
『冬になったら』 白米おこめ
口の中へと消えた片割れを追いかけるように
自ら身を切るさくらんぼ。
ぼとりと落ちたその先に、片割れは居ないのに。
「はなればなれ」 白米おこめ(改変)
そのビニール傘は、道端に棄てられたまま
ずっとそこにいた。
自分は役目を終えたのだと、降りしきる雨も、風も、
からりと乾いた太陽の光でさえも
文句ひとつ言わずに、甘んじて受け入れていた。
ただ、そんな傘も、このときばかりは
自分の折れた腕がどうにか元に戻らないかと苦悩した。
ダンボールの子猫が、心の無い誰かに捨て置かれて数分。
鈍色の空が瞼を落としはじめ、重暗い空気が漂う。
…これは、あと少しで雨が降り出すだろう。
いつでも空を見上げていた傘の、長年の勘だった。
ダンボールの子猫は、訳もわからずただ鳴いている。
どことなく自分に似た状況に、勝手ながら心配が募った。
無機物の自分と違い、向こうには生命があるのだ。
誰かに見つけられなくとも生きている。
ひとりでも、生きている。
そして、誰に知られずとも死んでゆけるのだ。
ただぼおっと緩やかに終わりを待つ自分とは違って。
何とか駆け寄ろうと風を拾い集めても、
折れた骨ではまともに受け止められず、
自分の手はただただ音を出してはためくだけだった。
せめて風除けにはなろうと、地面を爪先で削り耐える。
ぱたぱた、と自分の体で雨音が鳴り始めた。
…その中でひとつ、じゃり、と音がした。
人の足音だ。
リズムよく地面を踏むその音を、傘はよく覚えていた。
目の前のその人は、黒いしっかりとした傘を差している。
自分とは違うものだ。使い捨ての自分とは違う愛される傘。
がたり、と音がした。
子猫が幼い指先でカリカリと壁をひっかいている。
ふと、子猫に影がかかり、子猫は不思議そうにまた鳴いた。
傘は驚いた。
持っていた黒い傘を子猫に立てかけ、
代わりに打ち捨てられた自分を拾い上げたその手に。
まだ使えるな、なんて下から聞こえてきたものだから、
傘は少し泣きそうになってしまった。
子猫にも、自分にも、まだ死ぬなと言われているようで。
無機物のくせして、生命あるものと平等に考えられることが嬉しいなんて、図々しいにも程がある。
傘は、久しぶりに受けた小さな雨粒を拾い集めて、
大事に目の淵から落として、泣いた。
子猫の傘となったこの人の、
優しいその背を守るものになれるのなら。
腕が折れていようとも、再び道に打ち捨てられようとも。
私は傘であることを誇りに思って、
ただ、雨を受ける。
「子猫」(「傘」) 白米おこめ