鏡の中の自分を見ると、これが今こうやって
考えているのだなあと思う。
今、この文字を読んでいること。
スマホを持っている手が視界にあること。
一人称視点だ。ずっと。産まれてからずっと。
鏡を見ると思う。
私は“私の世界”の主人公だと。当たり前ながら、改めて。
周りの人のことを考えて、というのも分かるけど、
主人公なのだから、
その他のことはただのイベントでしかないのかも、と
思うこともある。
鏡を触る。勿論、鏡と私の間で指先が触れ合う。
指先がじわじわと冷たくなる。
触れている部分に、体温が移る。
そうやって混ざり合って、体温が等しくなって。
それでも、私が動くから鏡の中の私が動くのであって。
どうやっても、この世界の主人公からは逃げられないのだ。
向こうの私が、鏡の中から逃げられないのと同じように。
「鏡の中の自分」 白米おこめ
眠りにつく前に、ひとりぽつり。
明日は貴方の誕生日だなあと思いついて。
誕生日を祝われる貴方のことを考えて、
周りの人に恵まれた貴方に、
邪険にしつつも嬉しそうな貴方の顔に、
勝手に心を綻ばせ。
そこに私がいないことに、勝手に心を痛ませて。
人間って本当に身勝手なのね、と思ってみたり。
ここにはいないひとを想って泣くなんて、私達だけかしら。
貴方達にとっての幽霊は私なのね。
貴方達から見れば、私が幽霊側なのね。
いいよ。
私が老いて死んだのならば、
火葬場で骨をひとつ盗んでくださいな。
その骨を薄く伸ばして、栞にでも加工して、
キャラクター紹介ページに挟んでもらうから。
……そうやって、貴方の誕生日が来るたびに。
永遠の眠りにつく前に、
貴方と逢える方法を探している。
「眠りにつく前に」 白米おこめ
伊武くん誕生日おめでとう
もう一つの物語。
例えば、テスト前にちゃんと勉強した私の物語。
例えば、あの時に謝れた私の物語。
例えば、昨夜潰した蚊の物語。
今朝割った卵のひよこの物語。
電車に飛び出したあの人の物語。
あったはずの物語。私が書き損じた物語。
もう一つの物語。
例えば、補修の時間で仲良くなった友達との物語。
例えば、謝れなかった後悔を覚えている物語。
例えば、昨夜殺し損ねた蚊の物語。
朝食に目玉焼きを食べた私の物語。
ホームに花束を添えて生きる私の物語。
なかったはずの物語。私が書き連ねた物語。
どちらも、等しく。
「もう一つの物語」 白米おこめ
帰宅途中の水たまりを踏んだら
そのまま沈んで世界から私がいなくなり
暗がりの中でただ遠くなってゆく信号の揺らぎをみている。
「暗がりの中で」白米おこめ
ある日、夕食の終わり時。
お皿洗いの最中に、紅茶の香りが鼻をくすぐり、
私はふと窓の外を見た。
窓の外から、風に乗ってその香りがした。
かちゃりと、洗い流した真白い皿を立てかけて。
泡のついたものは放ったまま、
ベランダのテラスドアに手をかけた。
からからと外へ出ると、ふわりと。
紅茶の香りが、夜の冷えた空気に纏っている。
お隣さんの電気は消えていた。
下を覗き込んでも、ただ黙った草木が揺らぐだけ。
ここにあるのは、遠くのお月様と、小さな星々。
私はふと気になって、部屋の奥の、引き出しの更に奥から、
埃を被った望遠鏡を取り出した。
軽く払って、狭いベランダで三脚を立てて。
屈んでレンズを覗き込んで、月を探す。
光のある方へ。上へ、上へ。
ぱっと目の前が白く光って、ピントを合わせると。
月の光だと思ったものは、
ふわふわとした毛並みに変わって。
そう、一匹のうさぎが、紅茶を飲んでいた。
…と、思ったが、もう一匹うさぎがいた。
何やら慌てて飛び回っている。
布巾を持って、小さなクレーターの周りを
あちこち拭いている。
「零したのかな」
ああ、だから。
「だから紅茶の香りがするのね」
『紅茶の香り』白米おこめ(改変)