「時間よ止まれ」
部活帰り、午後7時。太陽も家に帰ってしまって、空はすっかり紺色に染まっている。身体が重いのは、ノートや教科書が詰め込まれた鞄を背負っているからだけではない。理を歩く友人二人も同じはずだ。「疲れた」の一言だけで感情も感覚も共有できるこの時間は嫌いではない。とっくに飽きてしまった下校道。言葉はいらない、考えていることは同じだ。6本の足は自然に直帰ルートを外れて、駅前のコンビニエンスストアに向かう。白と緑と青の光に迎えられながら店内に吸い込まれ、思い思いのアイスを手にする。すぐ隣の人気のない公園で、ブランコに乗りながら、まだ硬く冷たいそれを齧る。ここで私たちはたくさんの言葉を交わした。その日の楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、傷ついたこと。たくさん笑って、たくさん泣いた。これからもそうなのだと思う。その日何があったとしても、この時間、この場所だけは私たちのものだ。私たちは、忙しい。帰ったら課題も山ほどあるし、明日のテストの勉強もまずい。あぁ、今日部活で注意されたこと、直さなくちゃ。全部、家に帰ったら頑張るから、だから。今はどうか、何も考えず、このままで。願わくば同じように苦しみを抱える二人も、同じ気持ちでありますように。
ブランコが高く上がる。このまま何処かに飛んでいけたら、なんて会話、この前もしたっけな。
「時間、止まってくれないかなぁ」
「空が泣く」
「泣き出しそうな空」とはよく言ったもので、灰色の面積が圧倒的に多い空は、あからさまに落ち込んでいるように見える。教室の窓からぼんやりと上を見上げている私は、BGMと化している化学の先生の話の内容より、そんなにも空が泣きそうな理由の方が気になる。何か嫌なことでもあったのだろうか。私が力になれたら良いのだが。「雨の後には虹が出る。だから今は我慢して歩こう」なんて、誰が言った名言なのだろう。私は今日傘を持ってきていないので、たとえ雨が止んだ後虹が出ようが、雨が降ってもらっては困る。なので早いところ空の悩みを聞いてあげて、泣き出す前に笑顔にさせてあげなければ。そんなことを思いながらふと時計を見ると、長針が3を指している。もうすぐ授業が終わる。と、不意にBGMが音量を上げた。
「そういうことで明日はテストをするから、各々勉強しておくように」
流石に聞き流すわけにはいかない情報が聞こえたところで、聞き慣れたチャイムの音が鳴る。勢いよく教室から飛び出していくクラスメイトたちを横目に外を見ると、大粒の涙がこぼれ出していた。あぁ、なんだ。君もテストが嫌だったのか。
「泣きたいのはこっちだよ」
「君からのLINE」
スマホが一瞬、震える。まるで喜びに打ち震えるようなその振動に、私の心も震わされた。君以外のLINEの通知は切ってあるため、その束の間の振動は君からのメッセージを受信したことを表すことが多い。期待に心を躍らせながらスカートのポケットからスマホを取り出し、画面を確認すると、
「もうすぐ雨が降りそうです」
ご丁寧にお天気アプリがしばらくの降雨を教えてくれたようだ。理不尽な恨みをお天気アプリに抱きつつため息をつく。そのままスマホのロックを解除し、最も開きやすい場所に設置されたラインのアプリを開く。ほんの少しスクロールしないと出てこない君のアイコン。その現状にまたため息をひとつ。少し前に交わしたやりとりは、君からの一言で始まり、私からのスタンプで終わっている。「この後雨が降るらしいよ」打ち込んだメッセージを紙飛行機に乗せて飛ばせないまま、初めから無かったことのように削除する。どうでもいいことをどうでもいい気持ちで君に送る勇気は、私にはまだない。
「いくじなし」
「時を告げる」
けたたましい人工的な音で目を覚ます。手探りでスマホを探し画面を見ると、腹が立つくらい整ったフォントの0730の数字。まずい遅刻だ。重い身体を勢いよく起こし、掛けている制服を引っ掴む。覚醒しきってない頭で必死に今日の時間割を思い出しながら、マグにコーヒーを淹れる。少しこぼした。冷ますついでに髪の毛を縛り、目についた教科書たちを鞄に押し入れる。まだ少し熱いコーヒーをあおり、マグをシンクに入れたら準備完了。これを朝ご飯とする。思い出したように再び喚き始めたスマホを黙らせ、スカートのポケットに押し込む。このアラームが鳴ったらいよいよまずい。長距離ダッシュの準備運動としてまだ夢の中にいる家族に大きな声で呼びかけ、外の世界への扉を開ける。あぁ、今日が始まる。
「いってきます!!」