砂時計の砂が落ちていく。
それをじっと眺める君の長い髪が、窓から流れ込む風に揺れた。
(お題 : さらさら)
スマホ画面をスクロール
アプリ閉じては次のアプリへ
タップ、タップ、スクロール
タップ、タップ、スクロール
板の中の広い世界
なんでも揃う情報屋
タップ、タップ、スクロール
タップ、タップ、スクロール
匂いも感覚も味もなく
指を打ちつけ目を乾かし
これで最後と思いながら
タップ、タップ、スクロール
タップ、タップ、スクロール
(お題 : これで最後)
いつだっただろう。最後に君の名前を呼んだのは。
もう、力が入らない。君の元へは戻れない。
昔は照れ臭さから、君の名前を口にできなくて。
いつしか一緒にいることが当たり前になり、呼ばなくて良くなってしまった。
意識が遠ざかっていく。
もっと名前を呼んでおけばよかった。
君の顔や仕草、声、匂い、温もりは、いくらでも蘇ってくるのに──君の名前だけが思い出せない。
君の名前はいつしか私の中で、“君”になってしまっていた。
さようなら、世界。
さようなら、愛しい君よ。
もし生まれ変わった先で再び会えるなら、そのときは君の名前を、舌が擦り切れるまで呼び続けたい。
(君の名前を呼んだ日)
ポツポツポツ、と語りだす。
ツーッと頬を、涙が流れる。
トントントン、と背中に触れて、
『雨降りだって必要だよ』
(お題 : 優しい雨音)
リズムと音が重なり合う。
それに耳を傾けながら、胸いっぱいに息を吸う。
全身から声が溢れる。
今日こそは、完璧に歌えている。
そう自分に言い聞かせて。
スマホの録音停止ボタンを押す。
それから再生ボタンを押す。
だけどそこから流れるのは、楽器の音と声が絡まり、飛び散った、掃除をしていないガスコンロ。汚れがこびりつき、変色し、埃が絡まり、顔を背けたくなる悪臭を放つ。
油の元気よく跳ねる音や、軽快な包丁の音、空腹を刺激する鮮やかな食材の数々や、調味料の香りはない。
「なーに辛気臭い顔して」
突然の声に、慌てて再生停止ボタンを押すが、もう遅い。
「俺はいいと思うけどな、お前の歌。けど、煮詰まってんだろ。そりゃ何十回も繰り返し歌ってたらそうなるって。一旦外行こうぜ。車出すから」
そんな時間はない、という叫びはスルーされて、気づけば街中へ連れ出されていた。
人混みが地面を踏み、雑談をしていく音、痛いほどカラフルな広告や照明の明かり、びっしりと並ぶ新作の服やら雑貨やら食べ物。
「嫌いなんだけど、こういう場所」
文句を投げつけると、ここへと誘拐してきた犯人は笑う。
「華やかでいいじゃん? 俺はこういうとこに普段いるわけ。でもさ、ずっと聞いてると、時々嫌気がさすんだよな」
そして不意に、なんの遠慮もなくこちらのカバンに手を突っ込むと、スマホとイヤフォンを奪い取っていく。
奪い返そうと伸ばした手は呆気なく躱わされ、イヤフォンは奴の耳に収まる。スマホの画面は、録音したあの不愉快なキッチンの音を再生していますよと言っている。
早く返してほしいこちらの気持ちなど真っ向から無視して、奴は満足気に笑う。
「そうそう、これこれ。こういうときにおまえの曲が欲しくなんだよ。地味で陰気で古臭い。華やかな街とは正反対の音。でもそれが落ち着く。
情報量がとんでもない街中とは全く別の、不思議な世界に連れていかれる。
なんでも揃ってるこの街中だけど、この音はおまえにしかないんだよ。俺はそこを尊敬してる」
奴はまるで自分のカバンにしまうかのような自然な手つきで、スマホとイヤフォンをこちらのカバンの中へと戻 した。
「見ろよ。ここにはこんだけ、向こうの景色なんか見えないくらいに人がいるんだぜ。街のキラキラに引き寄せられてきた、俺みたいな人間たちが」
その分、この歌を自分以上に不快に思う人間もいるだろう。……いるだろうけど。
こいつの笑顔を見ていると不思議と、それよりも“俺みたいな人間たち”のほうが多いような気がしてくる。
奴はこちらが無言であることはいつものように全く気にする様子もなく、立ち並ぶ店の数々に夢中になっていた。
「あ、あそこの店、良さそうだな! せっかく来たんだし、ついでにうまい飯でも食ってから帰ろうぜ。おまえ、今日は朝から何にも食べてないだろ」
そういえば、こいつのこういうところが好きで、一緒に暮らすことを選んだったな。
しかしそれを口にするのは照れくさいし気持ちが悪い。代わりに大きく息を吐くと、奴の後に続き、店内へと足を踏み入れた。
(お題 : 歌)