水たまりに映る空
にわか雨の水溜まりに、ちっぽけなおもちゃの魚が泳いでいた。
水面には明るくなった空がくっきりと映っていて、おもちゃの魚はエヘンエヘンと得意げに咳払いをする。
「まあね…エヘン、僕は空を泳ぐ魚になったわけですよ。お風呂やプールや海なんかじゃなくってね」
ずいぶん偉そうなので、私はきっぱり現実を知らせることにした。
「悪いけど、それ空じゃないから。空が映った水溜まりだから」
「えっ…」
魚はショックを受けて絶句した。
魚の落ち込みがあんまり激しかったので、ちょっと可哀想になった私は、そのまま家へと連れ帰った。
糸をつけてモビールにして二階のベランダに吊るしてやると、魚はたちまち自尊心を取り戻し
「エヘン、つまり僕は空飛ぶ魚になったと…そういうことですね」。
そんなわけで、今日も魚はベランダで風に揺れながら、エヘンエヘンと空を飛んでいる。
恋か、愛か、それとも
想像してみて欲しい。
見た目が完璧に好みで、胸が苦しいほどときめくのに、絶望的に相性の悪い相手を。
価値観が何もかも合わず、五分も話せば腹が立って、軽蔑しつつも恋してしまう相手を。
そういう二人がギスギスと向かい合っている。
「お前もう口きくなよ、ムカつくから」
「あんたこそ黙ってよ。張り倒したくなるわ」
罵った相手のぷいっと背けた横顔も、額にかかる髪も、それを払う指の形さえ好きでたまらない。
そんな不毛な恋人たちを、青ざめたキューピッドが物陰から窺っている。
このやらかしは、始末書程度では済まなさそうだ。
傘の中の秘密
お母さんに新しい傘を買ってもらった。
見た目はただ濃い青色だけど、パッと開くと内がわに小さな星が描いてあって星空のように見える。
「いいなあ、その傘いいなあ」
お友達の夢ちゃんはとっても羨ましがって、自分もお祖母ちゃんに作ってもらう!と言った。
夢ちゃんにはお母さんはいないけれど、優しくて何でも魔法みたいに手作りしてしまう不思議なお祖母さんがいる。
次の雨の日、新しい傘を持ってきた夢ちゃんは何だか恥ずかしそうな顔をしていた。
「あのね、お祖母ちゃんに星模様の傘が欲しいって言ったらね…」
ほら見て、と言われて夢ちゃんの傘の中を覗いた私は、あっと驚いた。
そこには本物の星空が広がっていたのだ。
傘の端から端を、たくさんの流れ星がスーッスーッと横切っている。
「お祖母ちゃん張り切っちゃって、本当の夜空を貼ったみたい…びっくりだよね」
ううん、すごいよ!流れ星に願い事しようよ!と私が興奮して言うと、夢ちゃんはやっと笑顔になった。
夢ちゃんと私はいつもこんな感じ。
お互い羨ましくてたまらないのはどうしてなのかな。
まだ続く物語
俺が生まれたとき、姓名判断に訪れた神社で
「この子には大きな使命がある」
と言われたらしい。
その後の人生でもずっと俺は、僧侶やら神父やら占い師やらに出会うたび
「あなたには使命がある」
と言われてきた。
あまりにも言われるので、そうか俺には使命があるのか、いつかそれに出合うのか…と覚悟して生きてきたが、思いに反して俺の人生はとてつもなく平凡だった。
子供時代、学生時代、社会人になり親となり祖父となっても、ずっと平凡なまま変わったことは何もなかった。
そしてついに俺は平凡に死んだのだが、特に思い残すこともないので大人しく霊界の受付に立っていたところ、役人が驚いたように言った。
「おや、あなたには使命があったのですね!」
「はぁ…そんな風に言われてましたが、別に何もなかったです」
「うーむ…」
役人は渋い顔で考え込んだ。
「まずい…非常にまずいです。使命を果たすべき人間がそのままここへ来るのは」
「そう言われても…」
「申し訳ありませんが、一からやり直してもらえますか?」
「ええっ」
そんな訳で俺は再び俺に生まれ変わり、母親に抱かれて姓名判断の神社にいる。
「この子には大きな使命がある…」
それはもう分かったから、どんな使命なのか今度はちゃんと教えて欲しい。
さらさら
ドームの天井まで届くような巨大な砂時計の前で、男が顔をしかめている。
砂時計からは金色の砂が細く細く、さらさらと流れ落ちている。
男は妻に尋ねる。
なあこれ、もう少し早くならないか?いっそ壊しちまっても…。
ダメよ、と妻はにべもなく言う。
誓いを立てたでしょ?砂が落ちきるまでは、このままにしておくって。
しょんぼり肩を落とす彼を、妻は優しく抱きしめる。
さあさあ向こうで瞑想を教えてちょうだい。その前にバター茶を淹れましょうか?それとも香油を塗りましょうか?
魅惑的な妻の誘いに、男は気を取り直して目を輝かせる。
男は破壊と再生を繰り返すシヴァ神、妻はパールヴァティー。
巨大な砂時計はこの世の時間で、さらさら流れ落ちるのは時の砂だ。
飽き性の彼が妻に宥められている間、どうにか世界は安泰のようだ。