#向かい合わせ
アプリで知り合ったその彼は、なぜか向かい合わせで座ることを嫌がった。
背の高い大柄な人なのに、真正面から見つめると、目を伏せてうつ向いてしまう。それが何だか可愛くて、私は好感を持った。
二度目のデートはカフェのカウンターで隣り合ってランチ、映画を観てから夕暮れの公園を並んで歩いた。
彼の横顔は鼻筋が通って睫毛が長く、そっと手を繋がれると胸がドキドキした。
「また会ってくれる?」
「うん、もちろん」
良かった、と微笑む横顔はとても優しい。
でも次の瞬間、強く腕を引かれて両肩を掴まれた。
キスされるのかな…と思いながら、私は初めて正面から彼の顔をまともに眺め、そして戦慄した。
顔の右半分にはさっきのまま微笑みが浮かんでいるのに、左半分は仮面のように表情がないのだ。
少し遅れて左側の唇がキュウッとつり上がり、冷々した酷薄な笑みが広がった時、“二面性”という言葉がふと私の頭に浮かんだ。
横顔しか見せなかったわけが、それで分かった。
#海へ
スコットランドを旅している古い友人から、絵葉書が届いた。
どこの島から出したのだろうか、岩肌と波が印象的な海の写真に
“僕のセルキーに出逢った”
とだけ書かれている。
人の世にも人にも興味はない、と言い続けていた男であるから、おそらくもう帰っては来まい。
彼の幸せを願い、私は一人スコッチウイスキーで乾杯した。
#裏返し
アパートの部屋に帰る途中、階段が裏返った。
エッシャーのだまし絵のように、上っていたのがいつの間にか下っていた感じだ。
俺は震える手で自分の部屋番号のドアを開けた。
これが裏返しの世界なら、あの時別れた彼女がまだ居るかもしれないと思ったのだ。
果たして部屋には女がいたが、彼女ではなかった。
俺の顔をした女で、そうきたか…と俺は思った。
#鳥のように
♪わたしの小鳥が赤い首飾りをして歌うのよ
鳩がもうじき死ぬと鳴くのよ
悲しい、悲しい、かな…ジャグ、ジャグ、ジャグ♪
そう歌いながら、小鳥に変えられてしまう女の子のお話を知ってる?
ヨリンデとヨリンゲルというグリム童話なのだけれど、鳥になったヨリンデを籠に入れて、魔女は自分のお城に連れて帰るの。
お城には七千もの鳥籠が並んでいて、元はみんな綺麗な若い女の子達なのよ。
「童話って色々変ですよね。魔女は何で女の子を鳥にするのかな。七千も飼ってたら、餌やりだけでも大変そうなのに」
そう言って笑う彼女の声は、鈴のように愛らしい。
最近できたこの年下の友人を、私はとても気に入っていて、彼女も年の離れた姉のように慕ってくれる。
ふと店の壁時計に目をやり、彼女は慌てたように立ち上がった。
「大変、もう出ないと終電なくなっちゃう」
「良ければ私の家に泊まる?ここからならタクシーですぐだから」
「わあ、良いんですか?」
「もちろん。すごく広いのよ、うちは」
女の子を鳥に変える寂しい魔女には、広い広いお城が要る。
何しろ鳥籠を、七千も置かねばならないのだから。