静かなる森へ
【静かなる森へ、やたらと踏み入ってはいけません。静かなのには、理由が有るのです】
オレが生まれた村には、山が並んでいたけど、そのうちの一つには、誰も入ってはいけない森があった。村人は全部、暗黙の了解で行かなかった。
だがある日、土地開発の営業マンが、その森を見せてくれと言ってきた。
「その森には、誰も入らねぇ。悪いことが起きるんだ。他の山の他の森ならいい。あそこだけはダメだ」村の長老が言った。
「パッと見、あの森の傾斜とか樹の生え具合が、住宅地にちょうど良いんですけどね」
とかなんとか、けっこう食い下がっていたが、長老は断固として首を縦に振らなかったから、結局、営業マンは帰って行った。
オレは、それを見ていて、イヤな予感がしたんだよな。
それから3日ぐらいしたら、例の営業マンの会社の人間がやって来て、彼を知らないかと言う。長老に断固として断られて帰って行ったと、口々に言われて「いい土地があるからこの村に行くと言っていたのですが、あの日帰社せず、それっきり・・・部屋にも居ないし」とにかく、みんな何も知らない。それは本当だ。
オレが思うに、あいつはあの後、誰にも見つからないようにあの森に入ったんだろうな。バカなやつだ。あの森に入ると、人は跡形もなく消えてしまう。どこかで倒れているとかではなく、完全に消えてしまうのだ。
何十年か前、一人入ったやつが居て、祈祷師を何人も連れて探したが、さほど大きい森ではないのに見つからなかった。
だからダメだと、長老があれほど言ったじゃないか!
No.194
夢を描け
もう夢なんか無い。無い!無い!無い!
それどころじゃないから。
なんかさぁ、アタイやばいバイトに手を出しちゃったみたいで、脅かされてるんだけど。
「いいか?今はなぁマグロ漁船に乗せるなんて流行らねんだよ。今はな、フィリピンでかけ子だ。フィリピン行くか?一生帰れねぇかも知れないけどな」
それが嫌なら、名前も知らなかったんだけど、ちっこい町の宝石店襲って来いってさ。
そんなこと言われながら見張られてるから、この部屋出られないし、同じこと言われてる子が、あと3人もいる。
フィリピンでかけ子だなんて、アタイ未経験ですけど、だいじょうぶですか?って、そんなこと言ってる場合じゃないね。
外が暗くなりかけたら、パンとおにぎり1個ずつくれたけど、たんぱく質も食物繊維もビタミンも少ないじゃん。アタイこれでも、栄養のバランスには気をつけてるんだ。
でも、仕方ないからそれ食べて、うとうとしちゃってた。
急に明るくなったのは、外からも、大きな明るいライトで照らされてたからだった。警察だ!って、警察の人も見張りの人も同時に叫んだのが可笑しかった。って、笑っている場合じゃなかった。
みんな、アタイもだけど、みんな捕まった。警察に連れてかれて、お巡りさんにいろいろ聞かれて、もう、軽率にバイトアプリでポチッとしちゃダメだよ。って言われてシャクホー?された。
今度から、少し真面目に仕事したら、アタイも新しい夢が見られるかなぁ?
No.193
届かない……
足に出来物があり、あちこちに出来ては引っ込んだが、今は膝の後ろで非常に痛い。熱を持っていて熱く痒い。その場所が、万力で締め付けられるように痛み、歩くのも辛い。
主治医は「痛み止めを飲んでください」
その主治医から皮膚科に回してもらった。組織を取って検査をしたのに、原因も治療法も分からない。何が出来たのかも分からない。
鎮痛剤を飲んでも、痛み全部は引かない。おまけに、高熱も出る。出ては解熱剤で下げる。鎮痛剤と解熱剤は1つのものなので、飲むタイミングが難しい。4時間経てば飲めるそうだが、痛みはすぐに引くけどすぐにまた痛くなる。熱は上がりきらないと解熱剤の効き目が悪いらしい。
痛みを押さえても、熱には届かない。熱を下げても、痛みには届かない。因果なことである。
私、そんなに悪いことした?そりゃ、横断歩道の無いところを渡ってしまったり、10円玉拾って着服したり、その程度のことはしますよ、はい。
No.192
木漏れ日
近くに公園がある。真ん中に大きな沼があり、メタセコイヤの高く伸びた幹が、ずらりと
並んで壮観だ。1周1キロになるランニングコースもあり、もちろん子ども向けの遊具がある場所も広く、そうとう大きな公園だ。
夏は、公園に入った途端に、すーっと涼しく感じる。グリーンクーラーというのはこれだなと思う。冬には木漏れ日が暖かく、気持ちが良い。
子どもたちが小さい時は、よく連れてきてたっぷり遊び、子どもも私も友だちが出来た。そのママ友とは、30年経った今でも付き合っている。
早朝も夜も、ランニングの人が走っているので、一人歩きしていても心配がない。
近くに、これだけの規模の良い公園があって、とても幸せだと思う。
No.191
ラブソング
妻を亡くしたばかりで一人暮らしの私は、最近モールのフードコートで食事をすることが多くなった。妻とたまに来ていたここで、周りのたくさんの人たちを眺めていると気が紛れる。
サンドイッチを齧っていると、BGMにふと耳が行った。ラブソングが流れている。それを聴いているうちに、思い出が溢れ出た。
いつかここで妻が言った。「私、この曲好きなのよね。聴くとなんだか胸が熱くなるの」「いい思い出でもあるのか?」「いやぁねぇ、忘れたの?二人で観た映画の曲よ。初めて手を握りあったときの。さぁ、何という映画でしょう?」「う〜ん、分からん」「もぉっ、あなたってそういう人よねぇ」言いながら、怒っているようではなく、楽しそうだった。
もう60を過ぎてからの話だ。恋愛時代のそんなことを妻は覚えていて、今でも胸を熱くしてくれるのか。その時、そう思ったのも思い出した。
私にとって、本当に貴重な惜しい人を亡くしたものだ。いつの間にか流れていた涙をそっと拭いながら、つくづくそう思った。
No.190