シャイロック

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3/16/2025, 5:52:39 AM

心のざわめき

 その朝、いつも起こしに来る父が来なかった。寝坊助の私は、いつもギリギリまで起きなくて、父が部屋まで起こしに来ていた。
 時間が来ると、なんとなく外や家の中の様子を伺いながらうとうとと惰眠をむさぼっている私だった。
 だが、いつも来る父が来ないことで、心のざわめきを感じていた。しょうがなく、起こされていないのに起きて行って、父の部屋を覗いた。「おとうさん」と呼ぶと、「あぁ」と返事をしたが、なんとなくいつもの父と違う。
 「どうかした?」「足が、な」だいたい、短気ですぐ怒る父が、こんな風に返事をすることだけでおかしい。声もくぐもっていた。わたしはまた心がざわめいた。
 「足が?どうしたの?」試しに父がアゴで示した左の足を触ってみると、持ち上げたが力なくダラッとしている。
 これは、脳だ!その時点では脳出血か脳梗塞か分からなかったが、異常を確信してからは、我ながら早かった。
 救急車を呼んで、別室に居た母を呼び、自分の会社に休暇の電話をして、身支度をして、怯える母の代わりに私が救急車に乗って、地元の大病院に運ばれた。
 結果は脳梗塞で、それから66日間入院して、父は帰ってきた。発見が早かったので、血管に詰まったプラークを溶かす薬がよく効いて、左手と左足にわずかに麻痺が残った程度で、日常生活は普通に出来るほどに回復した。
 実は、ちょうどその1年程前から、救急車の音を聞くと心のざわめきを感じていた。そして、その後はピタリと感じなくなったのだ。胸騒ぎって有るんだなと、あの時思った。

No.138

3/15/2025, 2:53:57 AM

君を探して

 君を探して、もう何年になるだろう。君を求めて、君を探して、どれだけ歩き回ったことか。
 私の妻は突然居なくなった。それ以来、親類や、知る限りの妻の友人のところに訪ね歩いたが、誰もが気の毒そうに哀れむように私を見るが、色よい返事は得られなかった。
 毎日、新聞の事故の欄はくまなく見て、テレビニュースも欠かさず見ている。でも、妻に関連しそうなことは、1つもなかった。
 70歳過ぎでは、まさか男を作って出ていったのではあるまい。それなら、私のどこかに気に入らないところがあったのだろうか。
 いろいろ考えたが分からない。
 「おとうさ〜ん」
玄関のほうが騒がしい。娘が小さな孫を連れて来たのだ。一人で居る私を気遣って、時々こうして来てくれる。
「おうっ、由美子、カリナも来たのか!カリナ、こんにちは」
「おじいちゃんこんにちは!」
年少組のカリナは、とても可愛い。遊んでいる横顔を見ているだけで、心が和む。
 お茶を淹れた由美子が隣に座って「ねぇ、お父さん」と話しかけてきた。
「どうした?」
「もう、お母さん探すの止めて。藤沢の叔父さん家なんか、今月5回も行ったんですって?」
「行ったけど、5回?そんなに行ったかな」
「ね、お母さんのことは諦めて。太田の伯母さんも何度も来られて迷惑してるって言ってたよ」
「だがなぁ、春子に帰ってきてもらいたいからなぁ」
「帰って来ないのよ、悲しいけど」
「見つかってみないと分からないだろう」
「お父さん、お母さんは亡くなったの。去年の秋口に、脳出血で倒れてそれっきり!」

No.137

3/14/2025, 3:58:07 AM

透明

 透明感って、なんだよ!と思ってた。「あの女優は透明感がある」とか言うが、透明になったら透明人間だろう!と思ってた。大学で彼女に会うまでは。
 その日オレは、中庭でベンチに座って寝不足の頭を振っていた。すると彼女が現れた。ふわりとどこからか現れて、だいぶ離れた向かい側のベンチに座った。 
 そうなんだよ、どこから来たのか分からなったぐらい、いつの間にかベンチに座ってた。なんだかオーラが見えるようだった。彼女だけ、他の人と違う輝きがあった。
 「こ、これが透明感か!」全体的な爽やかさとか清潔感、肌がキラキラしてて、オレはひと目で恋に落ちた。
 だが、それっきり彼女に会うことは無かった。毎日、会うのを期待して同じベンチに座り続けていたのに、あれからの残りの大学生活2年間一度もだ。
 やっぱり彼女の透明感は、ただの透明に変わっちまったのかなぁ?

No.136

3/13/2025, 3:32:26 AM

終わり、また始まる、

 家事ってね、賽の河原なのよ。賽の河原って、知ってる?『冥土の三途の川の河原で、死んだ子どもが父母供養のため石を積んで塔を作ると、鬼がそれをこわすが、地蔵菩薩に救われてまた石を積む』つまりは、石を積んでは壊されて、また積んでは壊されての繰り返しってこと。
 食事を作っては食べて、汚れた食器を洗ったら、また次の食事を作って食べて汚れる。
 服を洗濯したら、また汚れた服が出てくる。
 掃除をしては、また汚れて、掃除して汚れて・・・!他にもたーくさんのいろいろな仕事があるのよ。
 やらない人には分からないでしょうね。ねぇ、貴方。
 貴方は定年退職して毎日が日曜日とゴロゴロしてるけど、主婦には定年退職無いんですか?
 今日の家事は終わり、かと思うと、また始まる、この繰り返しの虚しさ、貴方には分かる?

No.135

3/12/2025, 3:29:00 AM



 タカヒロと夜道を歩くのは初めてかも知れない。いつも、車で行っちゃうから。
 今日は仕事の帰りに、たまたま駅で会ったから、こうして同じ方向に歩き出した。
 「わぁ意外に星がたくさん見えるね」照れ隠しに空を見たら、星が瞬いている。
 タカヒロが、同じく空を見上げながら言う。「なぁ薫、オレさぁ、そろそろ身を固めたいんだ。この先、オレとずっと居てくれる気はあるか?」
まるで、あっちにいくつ、こっちにも見えるねと、星を数えるような、期待と静けさを含んだ
口調だった。
 「待ってました!私もずっとタカヒロと一緒に居たい!」
少しおどけて、腕にしがみつく。
 とってもいい夜だ。星もたくさん見えたし。

No.134

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