隠された手紙
家族でキャンプに来た小さな沢で、私は石の間から、小さく折りたたまれた手紙を見つけた。
「ママ、着火剤どこ?」持ってきたキャンプ専用の箱を探せばあるはずなのに、夫は、何かと私を呼びたがる。「は〜い、今行くわ」、私は家族のもとに行った。小学生の息子と、その妹の方が、着々と必要な物を出していく。準備は、もうほとんど整っていた。
6年生ともなば、夫と2人でテントも組み立てられる。娘は、クッションシートを、その中に敷き詰めている。
一段落したら、急にポケットに入れたあの紙が気になってきた。
差出人も受取人も書かれていない、メモのような紙にただ一言『分かった』。
「ママ、始めるよ」「はい、これ着火剤」「おう、これこれ!」
河原によくある、石を積み重ねた塔を眺めながら歩いているうちに、この手紙を見つけた。
「分かった」とは、相手の言う事を納得したという意味の「分かった」なのか、調べていたことで、何か「分かった」のか?この隠され
た手紙が相手の手に渡らなかったことで、何か変化があったのか?無かったのか?
いずれにしても、この手紙を届けるということは、現実的ではない。いつ、誰が書いたか分からないし、緊急性も無さそう。うちの前にキャンプした人たちの誰かとは限らないし。
「ママ、何が『分かった』の?」娘が急に、私の腰に抱き着いた。「え?」無意識に、わかった、わかった、わかった?と、つぶやいていたらしい。
なーんにも分からないままなのに、「分かった」みたいになってたなんて変だ。
私は家族とのキャンプに専念することにした。バーベキューは、2年生の娘にはまだ火傷の危険性もあるし、何も分からない手紙に振り回されてもしょうがない。何だか知らないが「分かった」ことにしようと、私は、お肉の焼け具合に注意を払うことにした。
No.97
バイバイ
お子ちゃまって、泣いてぐずっていても、バイバイだけはやります。ママに「ほら、バイバイは?」と言われると、手をフリフリして、うまくすれば口の中で小さな声でバイバイと言います。
親に教えられて、バイバイすると褒められて、という経験値の中で、反射的にやってしまうのでしょうね。
さて、私は「さようなら」とか「バイバイ」とか、もう長い間言っていない。すぐにまた会う人でも、しばらく、いやもうずっと会えない人でも、「またね」「元気でね」と言って別れます。
別れの言葉は寂しいから。
No.96
旅の途中
私たちはみんな、長い長い旅の途中。1ヶ所
に留まっているにしても、同じことをしているにしても、私たちそのものが少しずつ変わっていくのだから、それが旅なのだ。
ニュースを見ても、人と話しても、天井を見上げても、心にいくらかずつの変化がある。小さな子だけでなく、大人でも成長していく。
嘘だと思うなら、数年前の自分と今の自分を比べてみるといい。必ず変化している。
こうして人は生きていく。少しずつ変わりながら。
生きることが旅をしていることと考えれば、日々の出来事も自然に受け入れられる。途中でリタイヤなんかしたくない。
私は私の旅の途中なのだから。
No.95
まだ知らない君
僕はゆりあを愛しているけど、ときどき謎の表情をするから不安だ。
「ゆりあ、愛してるよ」と言えば、とびきりの笑顔で「私もよ、じゅん」と返してくれるし、その顔に嘘はないと思う。
でも、遠くを見つめるような目をして、小さくため息をついているゆりあは、僕の知らない女性だ。
「ゆりあ、何か悩みでもあるの」
「え?無いわよ。なんでそんなこと聞くの?」
「君が、別の人に見えるぐらい、暗い表情をする時があるんだ」
「そうなの?でも考え過ぎよ。な~んにも無いわ。じゅんは心配性なのね」
悩みがあるなら聞こうと思ったが、何にもないと言われてしまったら、それ以上聞きようがない。もしかしたら彼女は、特別な教育を受けた凄腕スパイで、一部上場の僕の会社のデータを根こそぎ持っていこうとしている。とか、もしかしたら彼女は、ベテランの結婚詐欺師で、僕のほかにもたくさんの男を手玉に取ってる。とか、もしかしたら彼女は、お父さんの借金が億単位あって、それを返すために昼夜問わず働いて疲れが限界に来ている。とか、いろいろ想像してみるけど、僕の想像力じゃ限界がある。
人が、相手のすべてを理解できるなんてことは無い。親子だって、知らないことも有るだろう。結局、何か有るにしても無いにしても、僕はゆりあを愛しているんだから、まだ知らない君が出てきても、それも含めて丸ごと愛することにする。
愛してるよ、ゆりあ!
No.94
日陰
夏は日陰を選んでは歩き、冬は日陰を避けて日向を歩く。夏は日向だと死にそうになるし
冬は日陰だと非常に寒く、お日さまの実力を痛感するのだ。人は勝手なものだね。
日の当たる所は明るいけど、夏みたいに日陰がいい時もあるから、日陰も日向も必要なんだ。
当たり前だけど、日向と日陰は裏腹というか、一歩踏み込んだら日向に入ったり日陰に入ったりするんだから、今は日が当たらなくても、必ず日がさしてくるはずだよ。
そんなに自分を卑下せずに「さぁ行くぞ!」と、一歩踏み出してみようよ。
No.93