落ちていく
自分、高所恐怖症のくせに、スカイダイビングはやってみたい気がする。
飛行機から飛び出して、風の抵抗を受けながら落ちていく、「落ちる」のではなく「落ちていく」感覚はどんなだろう。
数秒で地面に激突するビルからの飛び降りとは違うだろうから、自分みたいなビビりでも、すぐ落ちるよりは、落ちていく間になにを考えるだろうとか、なにが見えるだろうとか、ちょっと面白そうな気はする。
でも、いざとなったら、ビビって降りられないに決まっているけどね。
夫婦
50年も夫婦をやっていると、お互いの考えていることは分かる。私が食べ物をほおばったままモゴモゴ言っても「はい、醤油ね」と、差し出す。玄関で妻が出掛けにかばんを探っていると「カギないのか?」と聞く。
寄る年波に、私は、片方が亡くなることを、よく想像する。残された私か妻は、どんな気持ちになって、どんな生活をするか?想像してはみるが、考えられない。
それでなくても、年々体が利かなくなってくる。前には簡単にできたことが出来なくなっている。妻は最近、極端に食が細くなってきた。私は2階への階段を登り切ると、死ぬほど動悸がする。
いつかはその時が来る。長く寝付くこともあるかも知れない。認知症になるかも知れない。その時に、お互いを嫌がらずに労れるか。これだけ長く人生を共にした相手だから、どちらかが欠ける、夫婦としての終わりに汚点は残したくない。残したくはないが、はて、どうなるかはなってみないと分からない。本当に分からない。
どうすればいいの?
前に「スリル」をテーマに書いたときの出来事。あれは実は、心の中はめちゃめちゃ動揺して、「え?はぁ?『持ってきちゃった』じゃないよ、私はどうすればいいの?どう言えばいいの?」という感じでした。
結局、その時の私は毅然とした態度は取れず、いけないことと分かっていたのに、責めることも、それどころか嫌いになることも出来ず、ただ距離を置きました。
これ以降も、何度か「どうすればいいの?」という場面に出会ってきましたが、なるべくきっぱりと右か左か決めるようになりました。人間、全部割り切れるわけではないのは分かります。でも、曖昧な態度を取ると、その後自分の中で、葛藤がすごいことが分かったのです。ああ言えば良かった、こう言えば良かったと後悔するなら、どっちかで結論付けてしまえば、悩むのは片方で良いのです。
私の、これが生き方です。
宝物
桃太郎は、鬼ヶ島に乗り込んで、大勢の鬼たちを犬、猿、キジの協力を得てやっつけた。鬼たちは都に行っては、街を荒らし家を荒らし、人々の命や宝物を奪った悪者集団だからだ。
さて鬼たちを屈服させたあと、桃太郎御一行様は、鬼たちが奪った宝物を奪い、凱旋した。「心配して待っていたおじいさんやおばあさんと幸せに暮らしましたとさ」
っておいっ!その宝物は、都の人々から奪ったものだから、それで幸せに暮らしたらいけなくないか?
昔から気になっている、オレの疑問。
キャンドル
揺らぐ炎と、流れる水の音、ちょっと湿った土の匂い、どれも安らぐし癒やされる。何か、人間の本能に訴えかけるものが有るのだろう。
決して、蛍光灯や電球の灯りではない。焚き火やキャンドルの炎が揺らぐのは、なんとも美しいし、いつまでも見ていられる。
ましてや、好きな子と手を繋いで歌いながら見つめたキャンプファイヤーの炎は、もう10年も前の話だが今でも忘れられない。
彼はイケメンとまではいかないがとても優しい目をしていた。キャンプファイヤー直前のフォークダンスのとき、私が次に控えているのを知ってこちらを向いて微笑んだ顔に萌え、私はたった数秒で彼が好きになった。
最初の印象と同じで、彼は限りなく優しかった。その優しさによりかかり、わがまま放題に過ごした私は、と言うか二人は、卒業と同時に憑き物が落ちたように別れた。今思い出しても惜しい気がするが、流れでそうなったのだからしょうがない。
キャンプファイヤーの、炎の魔法にかかってしまっていたのかも知れない。