子猫
人間を含めた、動物の子どもはみんな可愛い。ワニでもカマキリでも可愛いが、パンダや仔犬、とりわけ子猫は本当に可愛い。
なんでも、目鼻が顔の真ん中に寄っていて小さいモノに、人は母性父性や庇護欲を持つように出来ていて、無条件に可愛いと思うらしい。それに加えて、ふわふわのにこ毛に柔らかい体、歯をむいて啼き声をあげても、よろよろ歩いても可愛い。ましてや手の平で寝てしまったりしたら、手や肩がしびれてもそっとしておいてやるだろう。
そんな、子猫のような女と付き合ったことがある。大学生の時だが、彼女は高校生で、小柄で細くて、時々「ねぇねぇ」とすり寄ってくるのも子猫のようだった。
何が原因だったか、一度ケンカをした。涙をポロポロこぼして「もう知らない!」と水族館から走り去ってしまった。慌てて後を追ったが、探しあぐねてトボトボ1人帰った。まだ携帯も普及していない時代だったから、家に電話しても出てくれなくて、そのまま終わるんだろうと覚悟した。
1ヶ月ぐらいした冬の夕暮れ。大学から帰ると駅に彼女が居た。俺を見つけると駆け寄ってきて腕にしがみつき、「会いたかったぁ」と頬をこすりつける。結局、あっさり復活した。
ところがたびたび同じ事があった。気分屋で、「もう、だいっ嫌い」と、それがどこであろうと走り去る。そしてしばらくするとすり寄ってくる、の繰り返し。嫌われたと思ったときは悩んだり反省したり、いろいろ考えて胸が痛くなる。だが戻って来ると、氷解する。我ながら馬鹿だと思いながら、嫌いになれなかった。
そんな俺でも、だんだんと疲弊し、久しぶりに帰省したとき、母に痩せたねと言われた。急に痩せて体力が無くなったせいか、肺を病んで大学を休学して田舎に帰った。そのまま、本当に彼女とは終わった。
不思議なもので、まったく会えなくなったら、ホッとしたような寂しいような複雑な気持ちにしばらく苛まれたが、そのうちに傷も癒えた。
以来、子猫を見ても近づかなくなった。欲しくなったらたいへんだからだ。
秋風
秋風が吹く、という表現はよくないことを表す。男女の関係にヒビが入りそうな状態を「A男とB子の間に、秋風が吹き始めた」と言うのだ。
夏が終わりかけて、涼しい風が吹いてくると嬉しくなるのに、こんな風に使われているのは辛い。まして、最近は夏が突然終わって、冬が突然始まる、四季じゃなくて二季になっているから、秋風はありがたいはずなのに。秋風さんもさぞかし不本意なことだろう。
珍しく秋風が吹いて、半袖もコートも要らない快適な日、交差点で見かけた男女が、まさしくそんな感じだった。
「ねぇ、〇〇デパートに行こうよ」
「なんでだよ、人が多いと頭痛くなるんだよ」
「じゃ、少し早いけどご飯食べに行く?」
「オレ、腹減ってねぇし」
「なんか、A男変わったよね」
「なに言ってんだかわかんねぇ」
こりゃ、次のデートは無いな。と思った。
男女の間柄は、分からないけどね。
さて、秋風が吹いたら終わりに近いが、いい感じのときに「春風が吹く」とは言わないな。もちろん、夏風も冬風もつかわない。北風が身に染みる冬風の方が、終わりかけの男女にふさわしいと思うが、「飽きが来る」の「あき」と「秋風」の「あき」を掛けているらしいから、そういうことなんだろうな。
また会いましょう
「また会いましょう」って、なんて素敵で、なんて儚い言葉なんだろう。今度とお化けは出たことがないと言う人が居るが、まさにソレ!未来に期待を持たせつつ、その先は曖昧にする便利な言葉だな。
本当に会いたかったら、来週は?とか、来月は?とか◯日はどう?などと、具体的な日を提示するはずだ。こちらから「では何時にしましょうか?」なんて野暮なことを聞いたら、ふふと笑われて回答は得られない。
オレは何度それでガッカリしたことか!
「また会いましょう」なんて言葉は嫌いだ。普通にバイバイって言ってくれ!
スリル
高校生のとき、友人と本屋さんに行った。私は歌本付きの「平凡」だったか「明星」だったかを買って、彼女は何も買わずに出てきた。
本屋を出て数歩で、ここで待っててと、彼女が走って再びお店に入って行った。何か買うものを思い出したのかなと思い、私は素直にそこで待っていた。
程なくして本屋さんから出てきた彼女だが、一緒に歩いてだいぶ経った頃、制服のベストの下から本を取り出して、
「これ持ってきちゃった」
万引き???
私は内心ものすごく驚いたが、その頃リスペクトしていた相手なので、返して来いとも言えず、軽蔑することも出来ず、え?あぁ、そう、などと曖昧な返事をして、何ごとも無かったように歩き出した。
頭も容姿も良く、良い大学を目指していた彼女が、何故そんなことをしたのだろう?もしもお店の人に見つかったら、えらい騒ぎになるのに、目端も利く彼女が、そこに思い至らないわけがない。スリルを味わいたかった?スリル?
私は普通に彼女と話しながら歩いていたが、頭の中は大混乱だった。
以来、彼女とは距離を置くようになった。もしも、一緒にやろうと言われたら断りきれない自分が怖かった。私は、見つかったらたいへんなことになるようなことに、スリルを見出すことが出来なかったから。
飛べない翼
小さい頃、縁側からスズメが飛び込んできたことがある。カラスにでも襲われたのか、片翼でバタバタ転げ回っていて、もう片翼は血が出ていた。
私は小学校に行かなければならなかったので、その後どうしたのかは分からない。でも、帰宅すると玄関にリンゴ箱があった。昔のリンゴ箱は木で出来ていて、蓋も釘を打ち、中にはおが屑がいっぱい詰まっていて、そこから釘抜きで蓋を取ってからリンゴを取り出すのだった。そのリンゴ箱の蓋の部分に網が張ってあって、そこに今朝の雀が居た。
手当てをしてもらったのか、その時はじっとしていが、翌朝からチュンチュンよく啼いて、中でバタバタ遊んでいた。
この子は飛べなくなったとき、何を思っただろう。この先、カラスやヘビに睨まれたら逃げるすべがない。私たち人間が足をもがれるのと同じだ。人間なら、頭脳があるから対策を講じることは出来るが、スズメでは義足も車椅子も杖も無い。「詰んだ」と思ったろう。
だけど、この子なりの知恵、と言うよりも本能的に人のいるところに逃げ込んだ。それで助けられて、手当てもしてもらい、餌も寝床もある。最良の選択だったね。
飛べない翼でも、いずれ飛べるようになる。最良の道を見つけて、とりあえず動くことがたいせつなんだな、と、小学生の私は思った。