【心の深呼吸】
疲れた。と言いすぎて、
息を吸って吐くように疲れたという言葉が出てくる。
疲れているのは皆同じだからか
ただの挨拶として処理されてしまう。
疲れたの"本物"のハードルが上がり続ける。
皆倒れるまで疲れ続けるんだ。
人それぞれという言葉はこういう時に使った方がいい。
何も個性のみに使う言葉では無いのだから。
例えば、跳ぶことが仕事だとする。
一度や二度跳んで疲れてしまう人と、
一時間続けて跳べる人とでは、
仕事でどれだけ疲れるかが違うだろう。
これを見れば人それぞれという言葉が使えるのに
社会における仕事に置き換えてしまうと
人それぞれという言葉が使えなくなってしまう
努力すれば何にでもなれる実力社会だからこそ
疲れて動けない人が努力不足に見えるのかもしれない
手を止めて深呼吸してなんて言っても
その間に努力する方が何倍もいい。
深呼吸なんてしてる場合じゃないんだ。
此処に来た人は少しでも休もうと
そんな葛藤を持ちながら言葉を紡いでいるんだろう。
せめて此処に居る間だけでも
本物とか偽物とか考えずに、
疲れを少しでも置いていってほしい。
私も此処に色んなものを吐き出している。
立ち止まって、足を休ませている。
疲れたらそれでいい。
みんながどうとか考えなくていい。
歩けないなら立ち止まっていい。
きっと生きてるだけで、それだけで。
【落ち葉の道】
どこがで聞いた。
皆が綺麗という桜や紅葉は
どちらも花や葉の最期の姿だ。
花開く前や青々しい新芽の方が
何倍も頑張って生きているのに、
力尽きて死にゆく様が綺麗と言われてしまうのは
何故だろうか。
そんなことを聞いてから、
紅葉の見る目が変わってしまった。
人も同じなのだろうか。
今を頑張って生きているのに、誰も私を見ない。
ずっと先の未来で私が死んだら、
その生き様を綺麗と誰かが言ってくれるのだろうか。
では台風や土砂崩れで折れてしまった樹は
報われないのでしょうか。
人の世に揉まれながらも必死に立った者でも
全てが終わった頃にしか綺麗と言われないのならば、
誰が必死に生きてきた道を褒めてくれるのでしょうか。
この世は結果しか求めていない。
それまでの道には興味はない。
結果にたどり着かずに途中で息絶えた者は
落ち葉として、次に歩む者に踏まれる運命なんだ。
いくら努力しても、才能があっても、
才能を持ち合わせる努力家に先を越される。
その努力家でも、死にゆく瞬間しか綺麗と言わない。
所詮、大樹から落ちた葉だ。
大きな大地は知らないだろう。
結果までの過程の美しさを。
【手放した時間】
ずっと繋いでおけば良かったんだ。
そうすれば苦しむことはなかった。
壊れることはなかった。
本当はもっと親しくしたいけど
恥ずかしさが勝ってしまいできないのが
私の昔からの悪い癖だ。
普段の姿からどこかドライなのは
なんとなく分かってもらえるが、
嫌われたとしても人を思い続けるくらい一途なこと
これはあまり知らない人が多い。
私はずっと昔の失敗を悔いている。
一度手放せばもう戻ることは無いことは
誰よりも知っているはずなのに、
何度も同じ失敗を繰り返してしまう。
ずっと昔のことを覚えている。
紹介してくれたお店、夕焼けの帰り道、
何を買ったのか、どんな会話をしたのか
私は覚えている。
でも相手が話題に出すまで話さないから
興味がないように見えてしまう。
だからいつの間にか離れていってしまう。
どれだけ大切か伝えないから
言えと言われるまで好きを言えないから
ただそれだけ出来ればいいのに、
私は大切な人をなくしてしまう。
私は手放す気は無いのに、
どう気持ちを伝えようか考えている間に
大切な人達は私の手を払ってどこかへ行ってしまう。
嗚呼、大切なんだと言うだけで
貴方が壊れなかったのなら、
私はなんて重い罪を犯したのだろうか。
私が貴方を壊したんだ。
どれだけ謝罪しても貴方は戻らない。
私はまだ貴方を想っている。
貴方との思い出を、まだ大切に仕舞っている。
私と貴方は相容れないことくらいは
とっくの昔にわかっている。
それでも大切な人だと思っている。
言葉にしなければ、伝わらないのに。
本当に馬鹿だ。
貴方も貴方だ。。
私が言葉にして伝えることが苦手なことも
貴方が私とって何にも変え難いくらい大切なことも
知っていたはずなのに、
貴方は私から離れた。
私も貴方も
互いを信じすぎてしまったようです。
離れていた時間が長かったためか、
相容れない現実から目を背き、
互いが互いを美化し、現実との差が開いた。
それら全てが原因となり、互いに縁を切った。
絶望したのでしょうね。
その頃 私はどれだけ泣いたか、
もう思い出したくもありません
以前の貴方なら容易に想像できそうですが、
今はどうだか知ったこっちゃありません。
今ではあの時流した涙を笑えるくらいです。
もう私は貴方を見限ってしまったかもしれません。
この反省を胸に私はこれから生きていきます。
貴方はまだ壊れたままでしょうか。
それとももう見えない所まで進んでいるのでしょうか
もし貴方が私と縁を戻したいと言ったら
私は嫌だと言えないかもしれませんね。
なんせ貴方は私の大切な人ですから。
でも出来事はもう一年も前ですから
これ以上引き摺るのはやめにしましょうか。
次からはもう夢でも、現実でも、妄想でも、
もう会うこともないでしょうね
それでは、
「また会いましょう。」
いつも頑張っていたあなたは、
とても素敵な人だった。
何事にも自分の意見を持っている芯のある人で、
常に一歩引いて物事を見ている
落ち着いた人だ。
疲れた時は休んで、頑張りたい時は頑張って、
周りなんて気にもせずに、
自分のペースで生きている
そんなあなたを見て
自分の人生を歩んでいいんだって気づかされた。
いつも周りに合わせて、
自分のやりたいことなんて後回しにしていた。
一つ、私がやりたくて仕方ないことがあった。
それだけはやらせてもらってて、
楽しくて仕方なかった
でもそれだけで十分いいなって思えてしまって、
他のことは周りに合わせた。
意見はいつもブレブレで、多い方に合わせた
みんながやりたそうな方にした。
やりたいことがあっても見ているだけよかった。
それが私の生き方なのだと。
ずっとこのままなのだと半ば諦めていた。
その生き方をしてきた私が、
あなたを見て衝撃を受けたのは言うまでもないだろう。
誰しも憧れの人のようになりたいのは当たり前だ。
私もあなたのようになりたいと思った。
それからは早かった。
ずっとやりたかったことをやってみたり、
無理そうなことは無理と思い切って断ってみた。
誰かのための私の人生が、
私のための私の人生に変わっただけで、
灰色だった世界に色がついた。
このままの世界が続くとは考えられないけど
今を楽しもうと思った。
どうせこれから先は苦しいことしかないんだから、
自分のペースができる今を
私は楽しもうと思った。
【祈りの果て】
もう頑張れないほど疲れた時はいつも、
体力がもう少しあればと願ってしまう。
ほんともう少しだけ頑張る気力があれば、
このまま走り切れるのに、
どうしてかゴール手前で座り込んしまう。
あと少しなのに、その少しが届かずに、
他の人がゴールするのを見ることになるんだ。
いつもゴール手前だからか、
もう周りにはあと少しのところで諦めてしまう、
やる気不足の人と、呆れられている。
今までが順調だったから、
それがずっと続けられるはずだと
期待と信頼ができる
もし走り切ったとしても、
まだ行けると思われているんだろうな。
その期待に応えたいのか、
ゴール手前がただ悔しいのか、
無限の体力が欲しいと思うようになった。
でも上手にストレスを発散できないし、
元々体力がないから結局無理だ。
いくら無限の体力を手に入れたとしても
ずっと頑張っていれば、
いずれ、もう頑張れない時が来るはずだ。
どうせ無限の体力を祈っても、意味が無い。
祈るなら上手なガス抜きを覚えてからにした方がいい。
このままじゃ無限の体力なんて
どんなに祈っても叶わない。
まだ頑張らないとな。
でも、もう疲れたな。
もし、祈ることくらいは許されるならば、
教えてよ、信頼の仕方と、助けの求め方
助けてよ、泣き方も忘れてしまった。
ねぇ、誰か。
私、もっと頑張るから。
行かないで。