3,「優越感、劣等感」
いつもあの子を見上げていた。
いつも光に目を細めていた。
♢ ♢ ♢
天才、というのはあの子のことを言うのだと思う。芸能界というステージで、誰よりも輝く太陽。あの子が笑えばみんなが笑って、あの子が泣けば心を揺さぶられずにはいられない。そういう存在。
天から授かった才能。神に愛された容姿。天使のようにあの子は笑う。でも、見る人を虜にする魅力はある意味悪魔のようでもあった。
何が違うんだろう、と思う。
何が足りなかったんだろう、と思う。
ずうっとダンスも歌も練習してたし、体重管理とかスキンケアもサボったことなんて無い。もちろん努力だけで報われるはずもないって知ってたけど、あの子が努力してないなんて思ってもいないけど、でも、どうしてあの子だけ。
分かってる、分かってるんだ。この世界で生きていくには、戦っていくためには、運と才能と努力全てがないといけない。私には才能が足りなくて、あとたぶん運もなかった。もうこれ以上活躍は望めないし、あの子を超えることなんて不可能だ。
辞めればいいじゃん、と誰かが囁いた。
別に貴方の活躍に期待している人なんていないし、あの子より上手くなんてなれやしない。誰も困らないよ、って誰かが言った。
でも。
「ねえ!貴方も初めて?良かった〜!私も同じなの、一緒に頑張ろうね!」
そう言ってくれたあの子に、芸能界に入って右も左もわからない私に声をかけてくれたあの子に、報いたいって思うのはダメかな。私よりも才能があって、誰よりも努力してて、運に恵まれたあの子なんて大っ嫌いだけど、それでも、あの子に勝ちたいって思うのは嘘じゃない。負けたくない。
世間の声とか、自分の弱さとか、全部無視してただひたすらに手を伸ばす。あの子に届くように。手を握って並べるように。
「私と友達になってくれる?」
子供みたいで恥ずかしいけどさ、あの子にそう言うのが夢なんだ。
♢ ♢ ♢
優しい子。
優しくて努力家で、真っ直ぐな子。
こっちだよ、って手を引いてくれた彼女はいつの間にか消えていた。いや、違う。あの日輝いていた彼女の光は世間からは見えていなかった。
そりゃあそうだ、と思う。
厳しいことを言うようだけれど、彼女みたいな子はたくさんいる。そもそも芸能界に足を踏み入れられない子も、軽く潰れてしまう子も、数え切れないほどたくさんいる。ただの背景、ただの群衆。そんなものに成り下がってしまう、原石だった子たち。
彼女もその例に漏れず、あまり成果が出せない様子だった。私とは違って事務所もそんなに大きくないし、容姿もそこそこ。これで売れる方が難しい、とマネージャーは言った。
ふうん、そっか。頭に浮かんだのはそれだけ。仲の良かった子にそんな評価をされて、それしか思わなかった自分に嫌気がさした。で、それでおしまい。それ以降は彼女のことは要らない記憶にぽいっと捨てて、思い出しもしなかった。
あの時までは。
あの日、人気のあるテレビ番組で。若い子がたっくさん出る番組で、私はレギュラーの席に座っていた。ゲストとして出てきた子たちはみんなひたむきで、可愛らしくて、そして弱い。この中でどれくらいの子が残るんだろうなって大御所の誰かが笑っていた。私もそれに合わせて「みんな頑張って欲しいですね〜!」なんて笑っていた。ゲストの子たちは萎縮したように俯いていた。
なのに、彼女だけは違った。
私だけを真っ直ぐに見ていた彼女の瞳の炎は燃えていて、にっと挑戦的に笑っていた。
怖い。怖い、怖い、怖い!
なんでそんな風に笑えるの。なんでそんな目で私を見るの。妬んでよ、嫉妬してよ、諦めてよ。もう取り返しがつかないくらい差はついてるんだから。もうどうしようもないくらい、私が勝ったんだから。
近づかないで。私を見て笑わないで。そうやって、収録中も荒れた心を必死に抑えていた。
それから、それからだ。私は彼女をチェックするようになった。出演作も受けたオーディションもぜんぶ調べて、到底私に届かないことを確かめて、なのにそれでも怖かった。
彼女について調べたものが、彼女に関連したものがたくさん置いてある部屋で。私はみっともなく怯えながら、彼女の写真を睨みつけた。
「貴方とは、友達になれない」
絶対に。
2,「これまでずっと」
どうすればいいんだろう、と思った。
差し伸べられた手を見て素直にそう思った。
別に大丈夫なんだけどなぁと周りを見渡す。先ほどまで行われていた暴力は鳴りを潜めて、じっとこちらを伺っていた。ヒーローの光に照らされて、影はそっと隠れていた。
「大丈夫?怪我は……してるね。保健室まで歩ける?」
心配そうに、当たり前みたいに言ったヒーローは鋭い目をいじめっ子たちに向けた。気まずそうに逸らされた目線。汚された教科書はヒーローから見えないように隠された。
彼らに羞恥心とか罪悪感なんてものがあったのか、と驚く。それは私には向けられないけれど、ヒーローには向かうんだ。どうしてだろう、と考えてみる。
やっぱり人徳だろうか。ううん、きっと違う。彼らにとって私はヒトではなくて、同等の存在ではなくて、ただそれだけだったんだろう。
動かない私を見て、ヒーローは困ったように笑った。明るい、眩しくて目が開けられないほどの光。そんな幻覚が見えた気がした。
どろりとしたものが、胸を満たす。
「……ない」
「え?」
「必要なかった。別に、彼らにとっても私にとっても普通だし。助けとかそういうの、いらない」
何言ってるんだか。自分ながらそう思う。だって、助けてもらっておいて、いらないって。優しい優しいヒーローがせっかく心配してくれたのに。ありがとうって、助けてくれてありがとうって、そう言わなきゃいけないと分かってるのに。口からはするすると恨みばかりが出てくる。
「助けて、とか言ってないし。余計なお世話じゃんそういうの。私が可哀想に見えただけなんだろうけど、そういうのが一番嫌い」
あぁ、馬鹿だ。ヒーローは驚いて固まってるし、気まずそうにしていたいじめっ子すら信じられないとばかりに目を見張っている。
ああ、気持ち悪い。自分が吐き気がしそうなほど嫌いになる。卑屈で、ひねくれてて、可愛げなんてカケラもない。こんな奴を助けてしまったヒーローが可哀想だ。
そういう自己嫌悪が渦を巻く。でも、それに対抗するように心の中の小さな私が叫んだ。
『仕方ないじゃん。だって、これまでずっとずっと、誰も助けてくれなかったんだから。助けて、なんて言い方知らないし。ありがとうも何もかも、誰も教えてくれなかったじゃん。なのに、なんで今更……っ!』
小さな私。心の私。醜くってどうしよぅもない私の一部。
あんまりにも騒ぐものだから。対立する心を上手に切り分けて、ぎゅうと箱に押し込んだ。ぐるぐる鎖を巻いてしまえばもうその声は聞こえない。箱の中身がどうなっているかなんて考えたくもない。考えられもしない。だって、これまでずっと閉じ込めてきたモノが全部入っているのだ。重いし汚いし、早く捨ててしまいたいなぁと思った。
その、妙に重い箱を押し込んで私はヒーローに笑いかける。
「ごめんね、何でも無い。……助けてくれて、ありがとう」
1,「一件のLINE」
ぴろん、と軽い音が響いた。スマホが少し震えて画面がつく。『いつ帰ってくるの?』とだけ書かれた文面は相変わらずそっけないのに、返信しなければしつこく送られてくることを知っていた。
嫌だなぁ、と唇を噛む。別に帰りたく無いわけじゃない。家族にだって会いたいし、落ち着く家に帰って休みたい気持ちもある。でも、隣に住む幼馴染──コウに会うことだけが憂鬱だった。
大学へ進学すると同時に家を出て一人暮らしを始めた。特に遠い大学でもないのに一人暮らしを選んだのは、コウと会いたくないからだ。悪い奴じゃないと分かっている。いじめだとか嫌がらせだとか、そういったことをされた訳でもない。
ただ、どうしようもなく“合わない”のだ。
言葉の一つ一つが癪に障る。
行動の一つ一つに苛立ちが募る。
幼馴染のくせに、と友人には笑われたけれども、それこそ幼稚園児の頃から何となくこいつとは合わないと感じ取っていた。運動神経の差、勉強の出来なんかは大して変わらない。違うとすれば交友関係の広さだろうか。コウは広く薄く、自分は狭く深く。そういった違いにここまで違和感を覚えるのだろうか。
「……わっかんねぇ」
どうして自分はこんなにもコウが苦手なんだろう。こんな問いを小学生の頃から繰り返してきた。中学では仲良くなろうと努力もしたけれど、やっぱり合わなくて高校では疎遠になった。なろうとした。でも、コウ自身は幼馴染に対して苦手意識もないようで、ごく普通に関係は続いた。
話しかけられると鳥肌が立つからなるべく近づかないようにしたし、コウが話題に出ると「あー……」と誤魔化す。そんな風に過ごしてきた。大学になってからはやっと離れて、学生生活をそこそこ謳歌していたというのに。幼馴染というやつはどうにも切れないらしい。
「返さなきゃ、なぁ……」
LINEを開き、コウとの個チャに『今週末には帰る』と打ち込む。ついでにスタンプもつけてやった。ふざけて買った可愛らしい猫のスタンプ。LINEをしている分には大丈夫なんだけどなぁ、と少し笑う。
ついた既読と秒で返ってくる返信は見ないまま、またスマホを閉じた。