”私の名前”は、実は幾つかある。
と言うのも、物書きの真似事をしているせいなんだけれど。
本名を捩ってつけたり、好きなキャラから取ったり、性別を変えてつけてみたり。
本当に、色々あるんだけれど。
”私の名前”は、実は形見でもある。
今はもういない祖母から貰った、大切なものだから。
私の名前
目が離せないって、きっとこう言うことなんだろうな。
正直、理解を越えた人だった。
常識に囚われず、あるがままに生きている人なんて、聞こえは良いだろうけれど。
呆れるくらいに騒動を引き起こす人だった。
運が良いんだか、悪いんだか。
とにかく平穏と言う言葉が裸足で逃げ出すくらいには、波瀾万丈な人で。
付き合わされる度に、何度次はねぇからな!と叫んだことか。
でも、それを帳消しにするくらい、魅力に溢れた人。
現に今だって、誰もがその人に夢中になってる。
それは天性の才能で、努力の末に得た実力で。
だから、誰もが引き付けられるんだろう。
舞台に向けられた”視線の先には”、誰も彼も魅了して止まないその人。
神様に愛されたその人は、今日も波瀾万丈な日を送るんだろう。
視線の先には
ないと言えば、そう。
どうしても、創造することができない。
作る時は、誰かの創造を使ってでしか、想像ができない。
だから、オリジナルが1つもない。
ぜんぶ、ぜんぶ、誰かのオリジナルのパロディ。
それを解っているから、書くことは嫌いじゃないけれど、勝負なんてできなくて。
だけど、それでいいのかなって、思ったりもしてる。
私は”私だけ”の創造はできないけれど。
誰かの創造を広げていく想像は、できるから。
私だけ
懐かしいと言うべきか、つい最近と言うべきか。
ただ、もう戻らないことなんだなぁ、ってことだけは解ってて。
当たり前だけれど、幸せ、だったのかな。
”遠い日の記憶”
思い出すことは、何でか少しだけ物悲しいことだったりするんだ。
遠い日の記憶
どこまでも透き通る青空。
いつもより暑い日差しを手で遮って見上げる空は、まさに夏そのもので。
雲1つない快晴って、こういうことを言うんだろうなぁ。
でも、夏は嫌いだ。
それは暑さもあるし、突然やって来る夕立だったり、鳴り響く雷鳴や明るすぎる稲光だったり。
理由は、多分いくらでもある。
だけど、何でかな。
夏は、寂しくて、哀しいんだ。
澄み渡る青空。青々と生い茂る木々。賑やかに響く蝉の声。
夜になれば、鮮やかな花が空を彩って、道をたくさんの色彩が埋め尽くして。
どれもこれも、活気に満ちているのに、ぽっかりと胸に空洞ができたような感覚。
置いていかれたような、取り残されたような。
それとも、最初からそうだったのか。
どうしてかは解らないけれど、”空を見上げて心に浮かんだこと”は。
夏の生命の力強さと、取り戻せない喪失感だった。
空を見上げて心に浮かんだこと