また会いましょう
今日は会社で相手の言葉遣いにイラッとしたり、だからこっちはこう聞いてるのに。と思うような不満があって、帰宅してもなお、モヤモヤしている。
モヤモヤイライラ。
最近は穏やかに平和に時間が過ぎてゆくだけだったのに。
久しぶりにイライラした気がする。
でも私だけがずっと引きずっていても馬鹿らしいので早く忘れよう。そして忘れた頃にまた会おう。
鏡の中の自分
小学生の頃、クラスのムードメーカー的な男子が女子の顔面偏差値の話をしていたことがあった。
私は会話の外に居たが、皆に聞こえる声量で話をしていたので勝手に耳に入ってくる状況だった。
席順に〇〇は下の上。〇〇は中の上。と、言っていて、私はというと、中の下だな。と言われた。
何様なんだと心の中で少しイラッとしたが、言ってる本人の顔は学年で上位のイケメン顔なので、私は不利な立場の自覚があり、怒りは燻ってスッと消えた。
それにあくまで一個人の意見であるし、別にそいつになんと思わようが関係ないと思っていたからあまり腹が立たなかったのだろう。
私は人に対して冷めている部分がある。短所であると分かっているが、おかげで今までストレスが根深く残ることなく人生を歩めている。私はそんな自分が嫌いじゃない。
あいつはきっと、鏡の中の自分に自惚れているんだろう。
鏡には映らない自分の良さを引き出せずに、自分のことも、相手の事も表面的にしか見ていないんだろう。
永遠に
友人はいつも愚痴ばかり言う。
しかも愚痴のバリエーションが少ない。
県民性、彼氏、仕事が出来ない社員、だいたいいつもこの3つのどれかを展開してぶちまけてくる。
どうせ展開するなら東京ドームくらいのサイズに広げて面白おかしく話して欲しいものだが、友人にはせいぜいハンカチサイズが限界の様だ。
友人の愚痴を文字数にするととても長いのだが、内容はとても添削しがいのあるもので、もう少し手短に話して貰いたいものだ。きっと怒りで我を忘れた王蟲のように、聞き手のことなんか考えていないのだろう。
休日になってもわざわざLINEでハンカチを蒸し返してくるから厄介である。頼むから早くどこかでストレスを発散してきてほしいものだ。こちとら相槌のネタが尽きている。スタンプ機能というものがあってめちゃ助かっている。私にとってスタンプ機能はノアの方舟かもしれない。そしてこのアプリもまた、私の発散の拠り所であり救世主である。
話を逸らしてもハンカチを置き直してくる友人の愚痴は永遠に終わらないだろう。
だから私もここでたまに発散させてもらうことにする。
涙の理由
先輩が部署異動することになったので、私は仕事を引き継ぐために毎日沢山の事を教えられた。
ルーティンワークに飽き飽きしていたけれど、新しい事を覚えるのは、それはそれでストレスだ。
仕事を覚えるのは勿論嫌だし、先輩が居なくなるのはもっと嫌だ。
せっかく隣の席同士で仲良くなれたのに、唯一の先輩だったのに。
私はいつもなぜか仲良く出来そうな人とは離れる運命にある。自分だけ別のクラスになったり、仲良くなれそうだった同僚だって退職してしまった。
1人になるのは慣れてるからまだ我慢出来ると思っていたのに…なんで涙が止まらないんだろう。
花畑
実家の庭はごく普通の庭で、色々な木々が不揃いに生えている。それに加え木の形がヘンテコなのだ。
木の腕がバツっと根本から切られてわざと(?)生えてこないようにしてあるし、細い木は紐で縛られて広がらないようにしてある。
まばらに植えた花畑になるはずの種も、葉が生えてきたと思ったら雑草と間違えられ抜かれてしまったことも何度もあった。
これらは全て祖父の仕業で、幼いながら私は植物が拷問を受けているようで可哀想だと思っていた。
でもそれは思い違いだったのだ。
祖父が他界してから雑草は生え放題、木はアホ毛のように伸び放題…無法地帯の一歩手前になっていた。
人の物も勝手に断捨離してしまう祖父を憎たらしく思った事もあったけれど、失ってから祖父のやってきた事がいい事でもあった事に気づいた。
生きているうちに感謝の気持ちに気づけなかった分、たまには実家に顔を出して、庭のお手入れをしてみようと思った今日でした。