もし世界が終わってしまうなら
私は君と一緒に歌が歌いたい
できるならば、私だけが独占したい。
私と一緒に歌うためだけに歌って欲しいし、
私も、君と一緒に歌うために歌いたい
一番美しくて、強くて、儚い歌を共に歌ってくれたなら。
【世界の終わりに君と】
いつでも、ヘンテコな柄の半袖Tシャツを着ている君
音楽をものすごく愛していて、
突然変なことをしたりして、
大勢の人に好かれている君。
歌というのはどこまでも人間性が出るものだと思う。
どんな声色で歌うのか、どんな感情を出しているのか。
君の歌声は優しくて、暖かくて、少し寂しそうな時もあって、でもいつでも芯があって。
きっと君の魂そのものなのだろう。
君の魂に惚れ込んでいるからいつまでも君が歌っている姿を見たい。
だから今日も私は君の歌を聴く。
【半袖】
いつまでも子供のままのような無邪気と無鉄砲さを持ち合わせている彼。
時折自虐のように、◯歳なのにこんなのでいいのか自分は、などと言っているけれど、わたしはそんなところが大好きなのだ。
大人然とするなんて、そんなことは責任を取るべきところで取るというくらいでいい。
楽しいものや気持ちのいいものを心のままに子供らしく作ったり見せるあなたは素敵であなたらしい。
いつまでもそんなあなたらしくいてほしいと勝手に願っている。
【子供のままで】
幸せとはなんだろう。
幸せなんて、どんな境遇だから、とか何をしたから、とかどんな風な容姿をしているから、どんな仕事だから、誰かに愛されているからそんなことでは決まらない。
結局自分自身の心次第なのだと、生きてきて思った。
一般的に見てどんなに恵まれている人であろうと本人が満足しなければ幸せではなく、
逆に言えば全く恵まれていない人でも本人が幸せと思えば幸せなのだ。
そんなわかりきったことをいつまでも何度でも反芻する。
恵まれている方なのだとは思っている。
良い友人に恵まれ、安定した職につき、貯金もそれなりにある。
趣味も充実しているし、いつでもどこにでも行ける自由がある。
それなのに、それなのに私はふと虚無感や焦燥感に苛まれるのだ。
私のやっていることに意味なんてあるのか、何をやったって中途半端で意味なんてないのではないか、もっと能力が高くなければいけない、同年代の同期はもっと素晴らしい職につき、必要とされている。
もっと人としてセンス良く、面白くなければならない。私より優れている人間なんて掃いて捨てるほどいる。
そんないつまでも無くなることのない黒い塊が、胸の中に常にある。
でもこんな黒い塊を、私は意外と好きでいる。
これがあるから私はより賢く、より美しく、より技能を高くしようと向上していけるのだ、時折その気持ちが暴走しすぎて荒野のように荒れ果ててしまうが。
それはある意味幸せなのかもしれない。
こんな黒い塊を捨て去って、全てに満足し何も向上せず過ごすことが幸せなのか、それともこの焦燥と虚無感を抱えて時折成長した自分を認めては苦しみ続けることが幸せなのか。
さあ、どちらがハッピーエンドなのだろうか。
【ハッピーエンド】
見つめられると、逃げたくなってしまう。
私はいつだって自分の何もかもに自信なんてなくて
一流になりたいという気持ちだけは一丁前にあるくせに、そこまで堅実でコツコツ積み重ねるような日々は送れていない。
私が私を見つめる。
自分が一番自分の生活の隅々まで知っているから、
自分の脳が、心が囁く。
そんなことじゃお前は中途半端なままだ。
いつまで経っても中途半端で、そんなので生きている意味なんてないだろう。
◯歳なのに何もかも知らない。特筆した技能も持ち合わせていない。中途半端な実力の芸術が残っているだけ。
そんなお前に価値なんてあるのか。
ないだろう。
やりきれよ、生きてて恥ずかしくないのか?
ずっとずっと聞こえてくる。
やり抜いてきた人たち、プロフェッショナルの世界で生きている人に自分を見つめられたくないのだ。
こんなどろっとした自意識が降りてくる。
何もかもを辞めたくなる。私より優れた人ばかりなのに、何もかもする意味ないじゃないか。
技能の高さだけじゃなくて個性ですら私と似たような人ばかりなんだ。
同じテーマ、同じモチーフ、同じような実力もっと上の実力の人たち。私より深くて広い知見を持つ人たち。
何人もいる、いくらでもいる、苦しい、苦しい。
だから何度も辞めようとした、苦しくて恥ずかしくて。
それでも私は気づけばやってしまっているんだ。
誰と比べたって比べなくったって、そもそも私はやりたくてやっていたんだ。
やり続けるしか生きていけないのだから、私はいくらでもやっていってやろう。
私にしか彩れない人生を見せつけよう。
【見つめられると】