さてと

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1/4/2026, 11:43:05 AM

幸せを一過性のものとして考えてみる。

幸せとは一瞬の光のようなもので、ある時見た美しい光のようなものが記憶の1番手前にピン留めされる。じつはその光はもう遠い昔に消滅した星のようにそこにはないのだが、その煌めきが残像として残って、幸せという名称がついて視界を漂っているから、それが幸せだと錯覚する。(錯覚でも目視できるし手触りはある)

つまり、いかに思い込み続けられるかによって幸せの寿命が左右される。幸せはけっしてマボロシではなく、人の記憶や気持ちでいかようにもできる素晴らしい"たわみ"でもある。

人は幸せになりたいという。だが幸せが何か定義できない人がほとんどをしめる。光の速さで通り過ぎるのだから正体が掴めなくて当然だと思う。

幸せと真逆の不幸せにも同じことが言える。
不幸が連鎖しやすいのは、負の感情に中毒性が高いからだ。不幸の鎖が実は途中で途切れて凪の状態だったとしても、自分は不幸だという強い思い込みが、不幸を繋ぎ止め、連鎖させている。

幸せや不幸せが思い込みであるように、人は何かに依存する生き物だと思う。依存先は色々ある。
人に依存する者、モノに依存する者、旅に依存する者。
孤独を好む人も、寂しがりも、面倒くさがりも、飽き性も、みなその言動や思考に依存しているのだ。

依存は生きるために必要な力だと思う。
依存する力がないと、この世に留まる理由がなくなる気がする。時には破滅の恋に依存することだって生きる理由にはなる。それが不幸なことでも生きる理由を奪ってはいけない。

人生のあやふやな輪郭を手探りでなぞり、自分にとっての「一瞬の光」を掴むことができたら手離してはいけない。それが幸せでも不幸でも、君の看取るべき星なのだから。

1/3/2026, 3:08:12 PM

元旦から妻とセックスした。

大晦日は紅白を見ながら妻とリビングで寝落ちしてた。気がつけば2026年だった。子どもたちは無事カウントダウンできたみたいで、満足して布団で寝てた。
布団の数が足りない我が家では、妻とひとつの布団を分け合う。もうひと眠りする前に布団の中で新年の挨拶を交わす。あけましておめでとうの声が寝ぼけてて甘ったるい。シングルの敷布団で寝ると自然と身体が密着する。妻のフェイクファーのパジャマの触り心地が気持ちいい。ぬいぐるみみたいに妻を抱きしめる。ふわふわのパジャマのうえからでもスレンダーな身体のカーブがよくわかる。背中をさすりながら、労いの気持ちとイケない気持ちが湧いてくる。妻は目を閉じて微笑んでいる。そのまま仰向けの僕に覆い被さる妻。僕はパジャマに手を忍ばせ、妻のTバックのラインをなぞる。
すでに反応しているアソコと妻のソレを服の上から押し当てる。少し腰を動かすと目が覚めてきた。
子どもの寝息を確かめ、書斎に移動し、内鍵を閉める。
僕は裸に、妻は下着姿になる。僕はソファーに腰掛け、僕のうえに妻が腰掛ける。妻の身体に触れた手が温度を取り戻していく。いい景色といい匂いで夢の中みたいだ。暗くて狭い部屋のなか、窓から差し込む月灯りが妻の裸を照らす。陰影が月みたいに美しかった。
セックスが終わったあと、そのまま近所の河原へ初日の出を見に行った。
川の橋のうえは人だかりで、少し待ったけど結局日の出を見ずに帰った。

1/2/2026, 5:53:04 PM

今年の抱負は「忍耐と根性」だ。何かを継続するのに、遠回りな工夫をしてきたが、結局は忍耐と根性でもって自分に課するやり方が良い気がする。
今年は、ソロ音源一枚、バンド音源一枚、詩集一冊、エッセイ本一冊作れたら最高だ。あとはチャレンジしたいことのひとつに詩の教室のようなものがある。
しかし、これらの具体的課題は去年もなんとなく抱負として脳内にはあった。今年はちゃんとカタチにできるか?いや、する。意地でも!そんな気持ちで望みたい。
こんな文章を書きながら早くも眠たい。