幸せを一過性のものとして考えてみる。
幸せとは一瞬の光のようなもので、ある時見た美しい光のようなものが記憶の1番手前にピン留めされる。じつはその光はもう遠い昔に消滅した星のようにそこにはないのだが、その煌めきが残像として残って、幸せという名称がついて視界を漂っているから、それが幸せだと錯覚する。(錯覚でも目視できるし手触りはある)
つまり、いかに思い込み続けられるかによって幸せの寿命が左右される。幸せはけっしてマボロシではなく、人の記憶や気持ちでいかようにもできる素晴らしい"たわみ"でもある。
人は幸せになりたいという。だが幸せが何か定義できない人がほとんどをしめる。光の速さで通り過ぎるのだから正体が掴めなくて当然だと思う。
幸せと真逆の不幸せにも同じことが言える。
不幸が連鎖しやすいのは、負の感情に中毒性が高いからだ。不幸の鎖が実は途中で途切れて凪の状態だったとしても、自分は不幸だという強い思い込みが、不幸を繋ぎ止め、連鎖させている。
幸せや不幸せが思い込みであるように、人は何かに依存する生き物だと思う。依存先は色々ある。
人に依存する者、モノに依存する者、旅に依存する者。
孤独を好む人も、寂しがりも、面倒くさがりも、飽き性も、みなその言動や思考に依存しているのだ。
依存は生きるために必要な力だと思う。
依存する力がないと、この世に留まる理由がなくなる気がする。時には破滅の恋に依存することだって生きる理由にはなる。それが不幸なことでも生きる理由を奪ってはいけない。
人生のあやふやな輪郭を手探りでなぞり、自分にとっての「一瞬の光」を掴むことができたら手離してはいけない。それが幸せでも不幸でも、君の看取るべき星なのだから。
1/4/2026, 11:43:05 AM