朝日の温もり
また今日も、目が覚めてしまった。
さっきまで見ていた悪夢を思い出して吐き気がする。呼吸が乱れている。心臓がうるさく鳴っている。なんとか寝付いた真夜中から、まだ2時間足らずの真夜中だった。深呼吸をする。もう今日は眠れそうになくて、気休めにスマホをいじる。検索履歴に並ぶ「安眠法」「悪夢を見ない方法」「睡眠導入剤 値段」etc…そしてまた増える履歴。「眠れない 原因」。
俺は急に眠れなくなった。正確には、目が覚めるほどの悪夢を見る頻度が急に増えてきて、それに伴い寝付きも悪くなった。なぜか授業中の居眠りも段々できなくなっていった。目にはクマができ、メンタルもやられてきた。何を調べても何を試してもこの不眠症は改善されなかった。ここ1ヶ月ほど、俺はずっと徹夜明けのような謎の覚醒に苛まれているのだった。
ぼうっとSNSを眺めていた俺は、もうすぐ朝だと気づいた。支度をして学校に行かなくては。重い頭を持ち上げ、カーテンを開ける。カーテンの向こうは、なんだか憎たらしい光に満ちているようだった。
ーーー
「…あなた…眠れていないでしょう?」
「…は?」
昼休み。教室で弁当を食べていた俺に、彼女はゆっくりと声をかけた。常に眠そうな目をしてスローペースで動く、いわゆる不思議ちゃん…クラスメイトの夢野さんである。
「…まぁ、このクマ見れば分かるだろ。眠れてない。でも急にどうしてそんな」
「…眠りたいって…思ってる…?」
「そりゃ眠りたいに決まってるけど」
「…そう…その悪夢も…見たくない?」
「み、見たくない、けどなんで知って、なんで急に」
俺は彼女の眠たげな目が恐ろしくなっていた。普段挨拶すらしない相手に、どうして急に声をかけたのか。どうして全てを知っているのか。目に感情が見えない。なにか心を掌握されたような気分だ。
「…助けてあげるよ。私に協力してほしい」
「…は?」
「…あなたが眠れないのはね…その子の悪戯なの。悪夢を見るのも、全部…私はね、その子が欲しいの…お互いに、得でしょう?」
「その子」といって夢野さんが指差した先には、教室の壁以外何もなかった。怖くなって彼女の顔を見ると僅かに微笑んでいて、恐怖感と妙な安心感を覚えた。
「…放課後、南棟の…三階の空き教室に来て。ぜったい」
夢野さんはそう言い残し、のんびりと自分の席に戻っていった。俺に選択肢などなかった。放課後、俺は空き教室へと向かうしかなかった。
ーーー
なぜだ?
どうしてこうなった?
どうして俺は空き教室の真ん中で手足を拘束され、夢野さんに刃物を向けられているんだ?…いや、違う。あの刃先は俺じゃなくて後ろの虚空を向いている。質問しようにも恐怖で声が出ない。麻痺した心の底で、無駄に凝った装飾の刃物だなぁ、なんて考えていた。
「…うごかないでね。ぜったい」
その言葉に身を固くすると、彼女は刃物を虚空に突き立てた。見えない何かが数秒暴れ、彼女が押さえ。最終的に刃物は床に突き刺さり、どうやら我々が勝ったようだ…そう思うと同時に、1ヶ月分の睡魔がどっと押し寄せて、俺の意識は闇に飲まれた。
ーーー
「ここは…?」
「あら…目が覚めたの!?よかった、本当にびっくりしたんだから!」
目が覚めると見慣れた自分の部屋で、母親が俺の顔を覗き込んでいた。
「先生からあなたが倒れてたって聞いて、急いで迎えに行ったのよ。全然目が覚めなくて心配したわ…よほど疲れていたのね、気づいてあげられなくてごめんね」
「…えっと…ありがとう?」
「いいのよ。今日はゆっくり休みなさい」
母親が部屋から出ていき、スマホで日付と時間を確認する。あの放課後から数えて次の次の日。日曜日の昼頃だった。ずいぶんぐっすり寝ていたし、悪い夢も見なかった。本当に彼女は俺を不眠から救ってくれたようだ。少し引っかかりを感じつつも、久々のハッキリした意識を満喫した。
夕方頃、彼女が家に来た。
ーーー
「…この子、とっても可愛い…気に入った。ありがとう…」
夢野さんはそう言って空っぽの鳥籠を俺に見せると、お礼とばかりにお菓子を渡してきた。ちょっと前に店で見かけて気になっていた焼き菓子だ。やっぱりなにか見透かされている感じが怖い。
「こっちも助けられたから、お礼なんていいんだけど…」
「…こんなに可愛い子、なかなかいないの…よほどつらい不眠、だったんでしょう。お見舞いも兼ねて…」
「でもなぁ…そうだ、一緒に食べよう」
「…そうする。うれしい」
個包装のお菓子を2つ取り出し、片方を渡す。夢野さん、怖いけど思ったより良い子だな…なんて考える。食べながら本題に入る。
「それで…そいつは結局何なんだ?」
「…わかりやすく言うと…幽霊かな、全然別物だけど…見た目は動物に似てる、かな…難しい…似てないかも…」
「よく分からないし俺には全く目視できないが…そいつを捕らえて不眠が治った以上、何かがいるのは間違いないな」
「…私はね、この子達を集めているの…このお菓子おいしいね」
「おいしいな」
「…この子達は宿主の夢を悪夢に変えて生き…眠りを奪って姿を変える…いわゆる害獣。」
「それは集めたらお前も不眠になるんじゃないのか」
「…大丈夫…刺したから…毎日よく寝てる…」
「そういうもんなのか…」
彼女の話は理解に苦しんだが、なんだかとても楽しかった。夜になると彼女は長居してしまったことを謝り、例の獣が入った空っぽの籠と一緒に帰っていった。不思議な経験だった。
明日は学校か。夢野さん、また話してくれるだろうか。
久々の眠れる夜は、ひどく満たされた気持ちと共に訪れた。
ーーー
朝日の温もりと眩しさで目が覚めた。
いい夢を見ていた気がするが、あまり覚えていない。しかし、久々の爽快な目覚めに俺の胸は高鳴った。なんとなくスマホをいじる。増える検索履歴。「焼き菓子 人気店」「雑談 話題」etc…
俺の変化になど全く興味がないように、相変わらず朝日は温かく街を照らしていた。
岐路(未完)
今思えば、あの選択が人生の岐路だったのだろう。
バタフライエフェクト、というものがある。蝶の羽ばたきひとつが嵐を生むような、小さな選択の結果が更なる結果を呼び、大きな結果に繋がってしまうような。
僕もあの日、小さな選択をした。正確には、いつも通っている古本屋で適当に本を手に取った。別に隣の本でも構わなかったし、暇が潰せる未読の本なら何でもよかった。しかし僕は中身も見ずにその本を選択してしまった。次の日、その本は教室で読むという選択をされ、鞄から取り出され、そして偶然近くにいた彼女に一瞥された。全てが重なり合ったその瞬間。
「その本って…!ねぇ、ちょっと見せて!」
面倒なことになった、と思った。しかし僕は反射的に頷き、本を手渡した。人との会話が苦手な僕は、既にこの本を選んだことを後悔し始めていた。
「やっぱり…先生の…」
その少しくたびれた古本をパラパラと見つめる彼女は、なにかブツブツと呟いている。彼女は確か…同じクラスの冬森さん、だったような。次の瞬間、彼女はすごい剣幕で詰め寄ってきた。
「ねぇ、あんたどこでこれを?」
「え、えっと、近所の古本屋で適当に…」
「…放課後、私をそこまで案内しなさい。これは命令よ。校門前で待ってるから。」
「えっ、あっ、はい…?」
「…絶対忘れるんじゃないわよ…あぁもう、なんであんたが…」
…なにか呟きながら去っていってしまった。残された僕は呆然と本を見つめながら、作者名が書かれていないことに今更気づいたのだった。
ーーー
「これは天野先生の作品なの」
「アマノセンセイ…?」
「先生はこの世で1番…いえ、この宇宙で1番の作家なの。その中でもこれは未発表の遺作なのよ」
校門前で待っていた冬森さんはそう切り出した。
「でもこの本、作者名が…それにどうして遺作なんて知っているんですか。そもそも内容だって支離滅裂で、素晴らしいようには見えない…」
「…まぁ、急にこんな話を聞いたら普通そうなるわね。内容だって普通には読めないし…」
古本屋に向かいながら話し続ける。
「これはね、小説の形をとっているけれど、本質は鍵に近い。先生は小説という形式を利用して宇宙の鍵を執筆した。私は先生の神秘の狂信者の一人…理解されたいとは思わないわ。」
「えっ…と…?」
「ここの道ってどっち」
「あっ左です。すぐそこです」
見慣れた古本屋に到着し、中に入る。冬森さんは僕から例の本を奪い取り、ページをめくりながら店内の探索を始めた。僕も後ろについていく。
しばらく歩いた頃。
「痛ぁっ!?」
「だ、大丈夫ですか」
「ぐっ…み、みつけた、ついに見つけた!」
ページをめくっていた彼女の手には数滴の血が垂れていて、もう1冊の本を掴んでいた。振り返った彼女の頬には大きな傷があり、ぎょっとする。
「これでやっと…証明できる!」
冬森さんはそう言い残し、カウンターで本を買うと足早に出ていってしまった。2冊の本と共に。
またもや残された僕は先程の会話を反芻した。しばらく思考した末に思いついた考えとしては、あの本は何かしらのプログラミング言語に近いのではないかということ。それらは宇宙に何かしらの影響を与える可能性があるのではないかということ。冬森さんはそれを利用してなにかをしたいのではないかということ…
結局上手く理解できなかった僕は、非日常への興味と恐怖を抱きつつ帰路についたのだった。
ーーー