変わらないものは無い
クッションは、この位置。
枕は、この並び。
ペンとノートは、右の引き出しに。
コーヒーセットは、トースターの隣。
リモコンは、テーブル真ん中より少し右。
あの子のパジャマは、タンスの下から三段目。
二人でお揃いのマグカップは、一段下げた方がいいか。
そういえば、タオル取りづらそうだったな。
増えた化粧品、どこにしまおうかな。
あの子のお気に入りのお菓子、買いだめしたけど取りやすいところにあったら食べすぎちゃうしな。この裏に隠しとこうか。
…無いと思ってたら。使ったら元に戻してって言ってるのに。
同じ場所にへばりつけられてたものたちが、あの子と出会ってから羽を持ったみたいに自由に意味を持って動き出している。
決まった位置になくて、少し生活しづらくなるところもあるけれど、そんななんでもない日々すら愛おしい。
「最近よく笑うようになったよね」
片付けに飽きたのか、雑誌を開いてソファにくつろぐ彼女が語りかけてきた。
「そう?」
「ほら、さっきもなんにもないのにニヤついてたよ。ちょっとキモかった」
「えっ」
「ウソウソ。君の笑顔、好きだよ」
プレゼント
「別れましょ」
外の世界は煌びやかな電飾に彩られていて、あるはずのない暖かみすら感じる。
かえって今この空間は、暖炉の音は聞こえるのに急激に熱が逃げている。
背中に隠した白い包み紙にデコレーションされた小さな箱が、たったの一言で決して出してはいけない2人の重石になってしまった。いや、もう1人きりか。
なんで、なんて言葉も出てこない。
冗談だと思いたいのは、攻めてタイミングくらいだ。
消えないように、必死に薪をくべていた僕らの焔は、そうしていた時点でもう結末は見えていたのだ。
「何で何も言わないの」
隣で聞き慣れたはずの声は、聞いた事のない色で僕の前を通り過ぎる。
声までもが泣き乱れた彼女の言葉が、僕の世界から色を奪っていく。
貫いた沈黙の末尾、崩れる薪の音に負けそうな声で名前を呼ばれた。
じゃあね、といって扉を開けて出ていく時にようやく、いや久々に、ちゃんと彼女の顔を見ることが出来た。
最近彼女を見ることが出来ていなかったことに、あまりにも遅く気づいた。
このダイヤは、1人で持つには重すぎるよ。
僕は背中に引っかかっていた重石をぐっとポケットに押し込んで、彼女との大量の思い出というプレゼントボックスが溢れかえった部屋を飛び出した。
ゆずの香り
こんなに頑張ったんだ。
今日くらいはちょっと贅沢したっていいだろう。
スーパーで売ってた旬の柚を湯に浮かべて握り潰した。
ぐちゃり。
昨夜の感触を思い出す。
会社からの帰り道、ようやく慣れてきた暗い坂道を自転車で駆け上がり、アパートまであともう少しといったところだった。
タイヤ越しに、固くて柔らかい何かを踏んだ感触が全身を走った。しかし、振り返ってみてもそこには何も無い。
首を傾げながらも、気の所為にしてまたアパートまで自転車を漕ぎ出した。
今夜も同じ道を通って帰ってきた。昨日と違ったのは、変な感触を感じた場所の脇に、人がいた事だ。
暗がりで、どんな人だったかなんて見えなかったし、疲れていたから気にも止めていなかったが、うっすらと目が合ったことだけは覚えている。
しかし何故だ。
まず、あんな暗い、何も無いところでじっと座っていたことが変だ。
しかも、わたしは視線を感じてそちらに目を向けた。あの人はまるで私を待ち続けていたかのようにじっとこちらを見続けていたようにも感じる。
さらに言うと、目線の高さ的にも、勝手に座っていたと思っていたが、本当にそうだったのだろうか。思い返せば、あの人の下半身が見えた記憶が無い。ハイビームで走らせてたんだ。それくらいしっかり見えても不思議じゃない。
不気味な事が起こった気がして、身震いがする。
怖くなった私は、握りつぶした柚を鼻に当て、香りを体いっぱいに染み込ませて静かに目を閉じた。